マッチ一本火事の元 |
アジサイ | の | 滝 | の広場 |
拓馬 | / | ねき | 中3 |
原初の火は、生き物のように焔をあげ、制御不能なものであった。しかし、 |
現代ではそれに代わって、目的に合わせた「火の代替物」が侵出してきた。 |
人工の「火の代替物」は、ポケットの中のライターのような貧弱なものばかり |
ではない。都市の中の住区から個々の住宅まで、ツリー構造でのびたパイプや |
針金のネットワークにそって流れる都市ガスや電気などの火の「素」で、その見 |
えない火のネットワークは、かつての原初の火も及ばぬほどの強烈な潜在エネ |
ルギーを秘めて、現代人の生活環境を取り巻いてしまっているのである。 |
我々は火の恐ろしさを知らなすぎるのではなかろうか。もとより火は神だ悪 |
魔だといわれ、恐れられてきた。だが、今ではボタンを押したり離したり、再 |
度押したりするだけでコントロールできてしまう。また、火を直接使わずとも |
、温めたり、熱を起こすことが可能になった。これにより、周知の通り格段に |
便利になったが、便利さに比例するように、火への危険意識は格段に薄れた。 |
実際、火災の主な原因は、ほとんどの場合、たばこの不始末や、ガスコンロの |
付けっぱなしといった簡単な不注意からである。この不注意も、火への危険意 |
識の薄さから出てきたものだというのは言うまでもない。もし、こんなことが |
原発で起きたら、たちまち大爆発を起こして、付近はメルトダウンし、放射能 |
の雨あられを受けることになる。そんな意味で、再度火に対しての意識を高め |
るべきである。 |
何もこれは火だけに限ったことではない。便利になり簡単になることで、人 |
間はどうしても「安心」してしまう。「こんな簡単なことで」といってしまうよう |
な原因が、命を落とすことにつながることもあるのだ。例えばあなたは、自転 |
車にのっていて、常に危険意識を持って走行しているだろうか。のりたてはそ |
うだろう。急に人が出てきたらどうしよう、車が突っ込んできたらどうしよう |
、バナナの皮で滑ったらどうしよう(←めったにない)、と考えているだろう。 |
しかし、慣れてきて、自転車にのることが簡単になるにつれ、そのような意識 |
は薄れていく。それが人間だ。便利になっていくときも、同じことがおこる。 |
「ウサギとカメ」のウサギは、「走ること」が簡単であった。しかし、簡単であっ |
たが故に、「負ける」という危険意識が薄かったため、気を抜いて寝てしまい、 |
結局「負け」てしまった。「走ること」を火の扱い、「負ける」を事故とおきかえれ |
ば、分かりやすいだろう。 |
便利なことは良いことだ。今、すべて文明の利器を捨てることはない。便利 |
が事故を生むのではなく、人間が便利さに対して甘えを持って、危険意識を薄 |
れさせることが事故へつながるのである。しかし、楽な環境でいつでも気張っ |
ていられる人間はそうそういない。だから、事故を防ぐ方法の一つとして、過 |
剰な「便利」を取り除くべきだ。「初心忘れるべからず」というだろう。便利、簡 |
単に身を委ねて、危険を垣間見ることがなかったら、いずれ大きな「危険」があ |
なたを襲う。それは、便利で簡単であればあるほど、大きな「危険」になるだろ |
う。 |