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昔の学校給食用牛乳パックは三角錐=ピラミッ
アジサイ の広場
AE86 えや 高1

 もう一つの体験は、彼の目の前で起きたイスラーム教徒の殺人であった。
飢饉や飢餓が、直接食糧の不足によって引き起こされるのではなく、また暴力的抗争の中で殺されたり傷つけられたりするといったことが、単純に出来事の

「暴力性」からくるのではないという のであれば、そこにセンが語るように「社会的なもの」のはたらきを探ることができる。
ドイツに出稼ぎに行ったあるトルコ人 は、カフェに入って、ようやく覚えた言いかたで「コーヒーを下さい」と言ったけれど、コーヒーは出てこないで「おまえの来るところではない」という視 線を向けられただけだったと語っている が、コーヒーくらいならともかく、これが食糧不足とでもなろうものなら、真っ先に食べ物を売ってもらえなくなるのはこのような人たちということになる だろう。こうして彼らは「被害を受けやすく」なってしまうのだ。開発がすすむにつれて、たとえ全体として経済が成長しているように見えても、社会の内  

 現在の社会はピラミッド型である。私はこの考え方があまり好きにはなれないのだ。その理由は、出来るだけ上の階級を目指す日本人の考え方とは合わな
い気がするからだ。中間の地位でトップに立つよりも、上の階級でビリになっていた方が良いという感情である。私の考えはこうだ。ピラミッドというモノ は上に行くに従って体積が小さくなって行く。その逆に、下に行けば行くほど体積は大きくなって行くのだ。私は、上の階級でビリでいた方が良いなんて思 わない。むしろ、下の方でトップに立っていたい。なぜなら、ピラミッド型社会だからである。上に行けば順位表にのる人の数も必然的に減る。その逆に、 下に行けば多くなるのだ。例えば、十人しかいない中のビリと言われるより、百人の中のトップと言われた方が聞えも良いし、気分がブルーにならない。私 は下の方で上に立っていた方が良い。  

 私は、下の方にいた人が後々上に上がってくるという人を何人か見た事がある。例えば「カリスマ美容師」という言葉は最近(?)出来た言葉である。最
初にカリスマ美容師になった人はおそらく、小さな床屋などでコツコツと努力してきた人であろう。今は優れた指導者の下で修行したいという人が多いが、 それではダメだと思う。むしろ、普通の指導者の下で離れた自分の目標を目指して頑張った人が後々天下(?)をとるのだ。  

 目標は遠いところから大きいモノを持つべきである。
 

 
                                                 
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