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援助に対する考え方の違い アジサイ の広場
太公望 うの 高1

 貧困な層の定義として世界銀行などでふつうに使われるのは、一日当たりの生活費が一ドルという水準である。この定義は、現実の構造を的確に認識する
用具として、適切な定義の仕方といえるだろうか?一日に一ドル以下しか所得の無い人が世界中に十二億人もいて、七十五セント以下の「極貧層」さえ六億三 千万人もいるというような言説は、当面はよりよい政策のほうに力を与えることも出来るが、原理的には誤っているし、長期的には不幸を増大するような、 開発主義的な政策を基礎付けてしまうことになるだろう。このような「貧困」の定義は、間違っているはずである。  

 先進国が発展途上国に対する援助というものは、基本的に先進国に考え方であって発展途上国の傾向にあった援助ではない。先進国側からの立場で考える
と豊かさというものは、貨幣の量で判断している。そのため所得が少ない国に対して援助を行なおうとする。しかしこの考え方は、間違っていて本当の豊か さを考えるならば国々にあった援助を行なうべきだと私は考える。所得の低い国に対して先進国レベルの大量の貨幣の援助を行なうことはその国の経済バラ ンスを崩すことになり反って経済の発展を妨げることになり兼ねない。発展途上国は、貨幣の援助よりも公衆衛生、医療設備の向上、教育設備の充実などの 援助を求めているはずである。しかし、なぜ発展途上国の要望と先進国の援助は食い違うのだろうか。  

 考えてみると第一に豊かさの求め方の違いである。例えば、健康面で考えてみると日本とタイとでは経済の違いがある。日本の方が所得の面では上だが健
康面で考えるとタイの人達のほうが健康である。先進国の考え方で見ると豊かさのレベルというものは財産の量の考えがちである。しかし、発展途上国の考 えでは本当の豊かさというものがある。健康面、経済面、生活面、交友面などを総合して豊かさを考えるものである。どのようにしたら、先進国は発展途上 国の考えが分かるのだろうか。  

 一番良いのは、お互いの国が交流を積極的に図ることが大切であると思う。実際に現地に行ってみないと現実というものが分からないし現地の人の考えも
聞けない。大事なのは、相手の考えを理解し尊重することだと思う。決して全部が分かり合えるわけではないが、じっくりとやっていくことだと思う。途上 国も将来的に発展していかなければならないので貨幣も一応必要であるし、本当の豊かさも先進国と共に考えていかなければならない。  

 
                                                 
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