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大自然 アジサイ の広場
幸子 あさも 中3

 子供たちが『「美しいもの」を自分のモノにしたい』という理由からトンボ採りを始めた時、むげに禁止することは、楽しいはずの身近な自然を逆に、つ
まらない退屈なものと感じさせはしないかと案じてしまう。子供たちがトンボと同格の立場で勝負を競い、そして過ちとして殺生をしたとしても、周囲の大 人たちのアフターケアさえよければ、りっぱな情操教育になると確信している。自然を大切にする気持ちを育てていくべきだ。  

 自然と触れ合うことが必要だ。そのためには、子供時代をゲームばかりやって過ごすのではなく、自然の中で遊んで、野原を駆け回り、昆虫採集をし、つ
りをして遊ぶ。遊んでいる時に「無益な殺生」が行なわれたとしても、長い目で見ればそれも自然を大切にする気持ちを育てているのだ。  

 虫などを殺してしまった時よく、母親や教師などは「可哀相やめなさい」というが、自然と触れ合っている以上、虫などを殺してしまうのは仕方がないこ
とだ。虫を殺さないようにと考えれば虫に触れないようにしなければいけない、草花を踏んだり枯らしたりしないようにと考えれば触れないようにしなけれ ばいけない。そのようなことをいちいち考えていると、自然に触れるのは不可能になる。  

 確かに無益な殺生はかなりいけないが、自然と触れ合っている以上、仕方のないことだとして、自然を大切にする気持ちを育てるためにちょっとは認める
べきではないだろうか。「経験は、最良の教師である」という。だから、経験し、いろいろなことを乗り越えていき、自然を大切にする気持ちを育てていけ ばいいのではないか。                                                    
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