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自分 ウグイス の広場
エガ てせ 中1 じぶんのなかにほんとうにじぶんだけのもの、独自のものがあるのかどうか確信がもてなくなるとき、ぼくらはじぶんになじみのないもの、 異質なもの、それにじぶんのなかになんの根拠もないまま、じぶんの同一性を確保しようとするなら、~ではないというかたちで、ネガティヴにじぶんを規 定するしかない。じぶんは女ではない、子どもではない、白人ではない、病気ではない……ちょっとでも接触することをすごく怖がるぼくらはじぶんの存在 をじぶんという閉じられた領域のなかに確認することはできない。ちょっとややこしい言いかたをすると、ぼくらには「他者の他者」としてはじめてじぶん を経験できると いうところがある。ぼくらはじぶんをだれかある他人にとって意味のある存在として確認できてはじめて、じぶんの存在を実感できるということだ。  

 自分が自分と分からなくなる時、私もたまにそういう事がある。今の日本の人工は約一億二千万人。その中に自分は入っているのだろうか?そう思う時が
ある。  

 「自分は人間として数えられているのか?私とはいったい何なのか?」
 

 自分が自分であることを確認するためにはどうすればよいのだろう?今、私達も学校でもある不良。その人たちは、たいがい何かを否定することによって
自分を見つけたりしている。もちろん自分を見つけられれば良いと言うことではない。その理由は二つある。  

 第一の理由に何かを否定するのは自分が進歩しないし、否定されるほうが不愉快になる。だいたい否定してまで自分を求めたいやつなんていないと思う。
 

 第二の理由に・・・なんだっけ?(笑)
 

 私は、自分と言うものを見つけながら生きていきたい。
 

 
                                           
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