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高1 |
人間にとっての幸福とは何だろうか。有史以来人類が発してきたであろう、この問いへの答えはなかなかに難しい。これこれこうしている時が幸福だ、と |
いうのはあるかもしれないが、それはあくまで個人的な幸福でありそのかたちは人によって異なる。そうではない、もっと普遍的な幸福。それは恐らく、常 |
に追いかけていくものである、…とするのがよいだろう。わかりやすく言えば、幸福というのは常に未来に存在し、それ故に幸福の実現を目指し我々は努力 |
するのだ。その結果としての人類の進歩を見れば、幸福は未来にあるという考え方を、我々は歓迎するべきではないだろうか。 |
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そのための方法として第一に、終点の存在が必要である。というのも幸福は実現され得るという実例がなければ、その言葉がごく根拠薄弱ものになってし |
まうし、努力通しの人生というのはいつか無理が出る。それに社会の進歩へ貢献していくのは、どちらかと言えば若い人向けの思考である。余生をのんびり |
暮らす、という言葉もあるようにある程度歳のいった人間は、そうした道からリタイアし「幸福」に過ごしてもいいのではないだろうか。個人的な幸福は前 |
述したような種類が多岐にわたるから具体的な案は出せば不正確になってしまうが、未来に幸福が待っていれば希望も努力の意欲も生まれようというものだ |
。俗っぽい喩になってしまうが、アクア=エリアスというゲームがある。様々な職業にチェンジできるのが特徴で、強い職業には当然必要な条件も多い。強 |
い職業になる転職条件を満たすために冒険を繰り返す事になるのだが、これはある意味人生を体現してはいないだろうか。未来の幸福(なりたい職業になる |
)ために、現在は努力をする(レベルを上げる)。そうして長い道程の末に幸福を手にし、達成感と共に引退する。このかたちこそが、人生の幸福への道程 |
ではないか。 |
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また第二に、未来の幸福を追いかけるばかりではなく、適度な飴もあるべきだろう。中継地点としての息抜き的な「幸福」が存在しなければ、やはり疲れ |
てしまう。そう大したものでなくて構わない。冬にこたつでみかんを食べるとか、暑いさかりにで冷たいビールをぐっと飲むとか、そういったささやかな幸 |
福も適所にあるからこそ、人生は楽しむことができるのだ。 |
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確かに、現状を幸福なものと考えた方が救いはある。その方が楽だし、誰もがその現状を幸福であると考えれば、世界は円く収まるだろう。だがそれは停 |
滞だ。。まだ成長途上の現在が十分に幸福であると認めてしまっては、そこからの進歩を放り出したも同然であり、また現状維持を合理化する逃避にもなり |
かねない。だから、幸福は未来にあるべきだ。だがそれは、実現可能な未来であるべきだ。だからこそあらゆる努力には意味があるのだ。幸福へ向かう行程 |
は、険しい道かもしれない。だがその道を今迄幾人もの人間が踏破し、そうして人類は進歩してきたのだ。努力は報われるとは限らない。しかし、幸福を手 |
に入れた人間は、誰もが努力している。未来の可能性を夢見て、我々はこのながい道を、休みながらも歩いていくべきではないだろうか。 |
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