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運命なんて、あったらつまらない。 アジサイ の広場
ノッポ いえは 高2 自分から運を寄せつけないでおいて「私は運が悪い」と嘆く人が多いが、運と見えるものは日常の生き方の結果である。日常の積み重ねが幸運を呼んでくるの である。不運を嘆いている人は、自分が幸運を見つけるべきだとは考えていない。うまく事を運ぶにはそれなりの長い長い努力や苦労がいる。  

 学校での定期テストなどで、悪い点数を取ると、「私、この科目苦手だから点数が取れなかったの」と、言う人が多いが、本当は違うのではないだろうか。
点数が取れなかったのは、自分の努力が足りなかったからだ。人には得意不得意がある。けれども得意不得意というものは、今までの結果なのである。例え ば、数学の計算が速い人も、最初は遅かったのを、何十題も問題を解いたことで結果的に計算が速くなったのだ。その努力もしないで、「私はこれは苦手」と 決めつけているのは、ただ単に自分がかわいくて自分を甘やかしているだけなのである。マスコミで「天才」と騒がれたある有名な水泳選手は、天才と言われ るのをとても嫌がった。それは、彼女は子供の頃からの積み重ねで現在があるからだという。  

 ここ十年の間に日本では宗教事件が多発してきた。事件が発覚し、その全貌が明らかになると、私達は、なぜ信者がそのような詐欺まがいの宗教を信じた
のか不思議に思うことが多い。またこのような宗教団体に限って、病気が祈りによって治るなどと非科学的なことをいっていることが多い。一般的に考えて 、そのような事はありえないと思うのだが、病気という自分の力では、どうにもならないことは宗教などに頼りがちなのである。  

 人間に運命というものがあるのならば、それは全て結果から見たものである。「不幸な人は、どのような考えの中にも不幸の理由を見出す」という言葉があ
るように、楽しいこともうれしいことも自分次第である。全ては自分が導いたことなのである。私たちは、何かを成し遂げられなかった時、2つのことを考え るべきだと思う。最大限の努力をしたのかということと、今は人生という長い道を歩いている途中だということだ。  

 
                                                 
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