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科学 ウグイス の広場
エガ てせ 中1 「ドラえもん」は、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」に代表される、スーパーヒーロー型とは全く異なったタイプのロボットとして誕生した。現代の日常生 活は科学文明を過信するあまり、科学に対する基本的な姿勢を忘れ去ってしまっている。便利という言葉に浮かされて出来合いの科学を大量に買い込んで、 これでもかという失敗を 繰り返しても、実に平気なのである。それはまるで「のび太」の生活そのものである。楽することを求めるあまり、科学のなんたるかを忘れて暮らす現代生  

 ドラえもん、それは私にも夢を与えてくれた。どこでもドア、わたしはドラえもんを見るたび思う。どこでもドアがあったらなぁー…しかし、それは決し
てかなう物ではない。どんなに科学が進もうが、空間の移動ができるはずがない。だが、夢という物は、かなわないからこそ求める物だと思う。しかし時に は進み過ぎた科学は、とんでもない事を引き起こしてしまうのだ。  

 第一の理由に、人間は自分の足を動かした方が良いからだ。例えばクルマだ。確かにクルマとは楽だ。自分は足を使わず、目的地まで行ける。しかし、体
力がなくなってしまう。人間とは、歩いて成長する。いずれ私たちは、その事を身を持って実感するだろう。  

 第二の理由に、進み過ぎた科学は、自分のみを滅ぼすからだ。最近では、臨界事故があった。これも原子力という発電所を生み出したからだ。また核兵器
も問題になっている。自分たちで生み出したものが自分時降り掛かってくる、これを分かってまでする人間とはなんて愚かだろう。1945年8月6日に広 島に落とされた原子爆弾もそうだ。その恐怖が今も広島に残っている。原爆ドームだ。私はそれを人類への警告だと思う。  

 科学というものは使い方一つで問題を引き起こす。ドラえもんがまったくそうだ。ドラえもんが使うと必ずといっていいほど問題が起こらない。しかし「
のびだ」が使うと最後には自分が怒られるということがよくある。問題とは、そこにあるものではなく、自分が作るものである。こういう名言がある。科学 を作ると同時に問題を作っているのだ。  

 科学とはつかっても良いものだ。しかし使い過ぎてはいけないものだ。
 

 
                                             
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