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ふしぎ(?_?) ウグイス の広場
潤之介 かな 中1

 子供の世界は「ふしぎ」に満ちている。大人にとってあたりまえのことは、子供にとってすべて「ふしぎ」と言っていいほどである。子供は「ふしぎ」と
思うことに対して、時に、自分なりに「ふしぎ」なことに対して自分なりの説明を考えつくときもある。子供が「なぜ。」と聞いたとき、すぐに答えず、「 なぜでしょうね。」と問い返すと、面白い答えが子供の側から出てくることもある。「せみはなぜミンミン鳴いてばかりいるの。」と子供が尋ねる。「なぜ 、鳴いてるんでしょうね。」と母親が応じると、「お母さん、お母さんと言って、せみが呼んでいるんだね。」と子供が答える。  

 私は知識として理解するよりも心の底から納得する答えの方がいいと思う。その理由は二つある。一つは、独創性が持てなくなるからである。何故かとい
うと、現代の社会は知識として理解することばかりが多くて、心から納得しようとする人は少ない。それを正しいと信じている人が多すぎる。だからその「 知識として理解している」答え以外のことを言うと、笑われるか馬鹿にされるだけである。だが本当にそうであろうか?せみは本当に雌を呼ぶために声を発 するのか?別の目的があるのではないか?そういうことを大人で考えた人は、私は偉いと思う。  

 第二の理由に、心の底から納得することによって、心が豊かになったりすることがある。子供が「お空は5時くらいになると恥ずかしがって赤くなるんだ。
」と、自分なりに納得すると、じゃあなんで12時くらいには青色なのかなどと思ったりして想像を広げていくこともできる。そのとき、何か自分が重要なこ とを考えているのではないかと思って、偉くなったように思ったりする。確かに科学的な見方の方が、世界を正確に表すことができる。しかし、何から何ま で「科学」でがんじがらめにすると、上に書いたように創造力の欠如した大人になってしまう。決まった質問に、決まった答え。なんてのはつまらなすぎる 。「知識がはしごを作ったのではなく二階に上がりたいという熱意がはしごを作ったのだ。」という名言があるように、人の知識ではなく、自分の心で行動 した方がいいと思う。  

 
                                                   
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