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おおきな錯覚 |
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ひまわり |
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あなつ |
高1 |
現代日本の僧侶は、宗教者・求道者たることを自らの転職として選び取ったという人々ではなくいわば職業人として僧職につくことを法律的に条件ずけられ |
てそうなったという人々が大半を占めるであろう。僧の座に坐ることになると、僧たるものそのもののステータスがその人を安住させ定着させることになる |
のだ。すると自らを一個の人間に戻し、その裸身を改めて見つめ直すという宗教的な心構えは、霧のようにきえてゆくであろう。 |
やはり、人間として成長させる為に現在の環境に埋没することなく、つまり現在の職業や地位に腰を据えてしまう事無しに、自分の新たな可能性を絶えず開 |
拓しようとする気持を持ちつずけることが大切なのだ。 |
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□学校の先生というのはやはり私が思っていたどうりではなかった。私は小学校の頃はとても良い先生に恵まれていた。そこから「先生」というのは言う事 |
なしの正しくて頼り甲斐のある、いつも生徒の事ばかり考えてくれる人がなる職業だ、という思いが強かった。それなのに進学して仰天した。しだいに、や |
はりしょせん教師も金儲けするために教師になっているのだなあと、きずかされた。とても悲しかった。クラスのほとんどの子がある一人の子をはやし立て |
たりしているのにそれを何も注意しない。自分は勉強を教える事だけが仕事だ。ややこしい事は関わりたくない、と思っている気がした。ベテランの教師な |
んて特に、なんだかとても面倒臭そうに授業をする。補修なんて絶対してくれないだろうとすぐに分かる。そのような気持ちで教師になってはいけない。き |
っとだんだんと若い気持が薄れていったのだろう。きっと誰でも、「教師」というものは何かを知っていたはずなのに、自分に従うべき人達の前で生活して |
いくにしたがって変わっていったのだ。 |
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□兄弟でも同じことがいえる。私は長女であり、弟と妹がいるが、私は何か妹や弟に対して特別な権利をもっていると錯覚している気がする。私のいうこと |
を聞くのが当然だ、私には注意出来ないはずだ、と勝手に思っている。それは幼い頃から母に、ちゃんと面倒みててね!とかいわれていたからだろうか。自 |
分の方が上だ、と思っているのは確かだ。 |
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□こうしてみると、錯覚している人が大勢いる。これは非常に恐いことである。人間はその与えられた立場利用して錯覚してはならない。教師ならば教師ら |
しいことを考えて、与えられたことだけで満足せずに成長していくげきなのだ。 |
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