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このところ、ドストエフスキー(感) イチゴ の広場
陽一 あわつ 中2

 最近、古典を読むとなんとなく良い気分になる。また、時代の流行を代表とする作品はいつのまにか現れ消えていく。古典のなかには昔注目されていなか
ったが今はもてはやされていることがある。古典に現代の生活では日常的でない素材が用いてあると、不思議なことなのだが、抽象の骨組がかえってはっき りと見えてくることがある。それが頭をしゃきっとさせてくれることもあるのだ。古典とは古いものではなく常に生きているものなのである。  

 古典と流行のものには、はっきりとした良い悪いという意見の違いはないと思う。流行しているものはその時代の気質にあっているから人気があるのだと
思う。僕はテレビゲームをよくやるのでその例を上げようと思う。テレビゲームは本当に一時的にしか流行らない。(たまに長い流行をもたらすこともある が。)だから初めは1、次に2、3……とどんどん新しいものが出てくる。しかしその分ひとびとの気質の変化をどんどん反映できる。これは衆議院が解散や 任期の短さなどで入れ替えの多いことにより国会での特権が違うのに似ていると思う。しかし入れ替えが多い分流行のものはすぐに消えていってしまうのだ  

 しかし古典はずっと残っていく。本などに多くあるように昔から人々に愛されて来たのだ。きっとそれは人間そのものがどこかにもっているそれ独特のず
っと変わらなかった気質をとらえているのだと思う。古いものには流行のもののような爆発的な人気はない。しかし消え去ることもなくしぶとく今ままで残 って来ているのだ。(古典のものは昔生まれて来たのだから情報手段が少なかったので人気が伝わっていかなかったのかもしてない。)  

 確かに、両方によいところ悪いところがあるのだ。僕はなんとなく古典のものは梅雨時の雨のように少しずつしかし長く、流行のものは台風のように強く
短く人気があるのだと思う。僕はこの二つには「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言のようにも のはその時と場合によって人気のあるものつまらないものがあるのだと思う。もともと本は人が人を楽しませるために書いた物であると思うので人気がある 、ないにかかわらず自分がその本を読んだ時何らかの発見、楽しみがあったならそれでいいと思う。  

 
 

 
 

 
                                             
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