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人間は考える葦である |
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アジサイ |
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の広場
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UZI.SMG |
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そお |
高1 |
イルカや鯨は人間とは全く別種のきわめて高度な知性を持っているということがさまざまな実験によって明らかにされた。つまり、自然の持つ無限に多様 |
で複雑な営みを出来るだけ繊細に理解し、それに適応していく為のいわば受容性の知性だ。一方人間は、自分にとっての外界つまり自然をコントロールしい |
のままに支配しようとするいわば攻撃性の知性を持っている。ここで、イルカたちを実験する際彼らは捕らわれの身であるという条件がつくということは見 |
逃せない。また、このイルカの知性と人間の知性を全く別なものとしてとらえることはおかしいであろう。全く別としてとらえるのは前時代的である。 |
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まず第一に、人間ももとは自然というおりに入れられた捕らわれの身であったわけでそのころは自然に適応し生きていたと言える。農業にせよ結局は自然 |
の恵みである。しかし科学技術の発達によって自然を切り開いて人工的に作り出された環境で生きることが可能になった。つまり環境をコントロールできる |
ようになったのだ。 |
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また第二に、人間が持つ世界観についても同様なことがいえる。例えば宗教における変化を見てみよう。中世以前は神仏を絶対神として崇めることで人間 |
や自然というものを説明できた。また人々は神仏を権威として認めそれにすがることで社会が成り立っていた。これはきわめて受容的な考えだ。しかし、産 |
業革命以後資本主義の考えが広がるにつれ神仏はその思想にとって邪魔にすらなり次第に軽んじられるようになった。そして変わりに科学や経済と言う断固 |
とした理論に基づくものに権威が生まれるようになった。これは神仏への反抗とも言えるし、つまり攻撃的だといえる。 |
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このようにして考えてみると、人間は受容的知性から攻撃的知性へという進化を遂げていることがわかる。だからいくら人間が攻撃的知性を持っていよう |
ともその根幹には受容的知性があり、イルカと全く異なった知性とは決していえないのだ。ところで、果たしてどちらの方が幸福な知性なのだろうか。現在 |
少年犯罪や殺人事件は急増し社会は危険に満ちている。さらにはなぜ人を殺してはいけないのかなどという恐ろしいことを言う人が増えている。昔なら神様 |
がいけないと言うから、と言う理屈抜きのひとことで済んだ。それが今では理論的根拠を求められ、しかもそれでも納得はしない。だがしかし。受容的知性 |
の限界を知ったからこそ現在のような攻撃的知性へ進化をしたのであり、どっちがいいのかと言う論議は成り立たない。ただ現在、環境破壊は止まらなかっ |
たりヒトゲノムを解読し人造人間を作ろうとしたりと、自然を無視した活動を通して逆に自然の偉大さや恐ろしさを知るという現象が起きている。やはり片 |
手落ちした知性ではダメだと言うことなのか。こうした人間の葛藤や進化の行方を見て神はこういうのであろうか。「いくら進化しようと言えることはただ |
一つ。人間を考えたのはアッシである。」 |
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