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生きる目標 |
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ウグイス |
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池 |
の広場
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はるる |
/ |
くあ |
中1 |
人は二足歩行で手を解放し、急速に強く優勢な動物になった。そのため、狩る立場に立つことはあっても狩られる側にまわることはほとんどなくなった。 |
だから自分より強くて速い相手に狩られることはそのまま極端な不幸であるという単純な認識にこりかたまってしまっている。動物はみなこの危険なゲーム |
に参加し、興奮と高揚を味わい、常に危機を予想し警戒そながら、さしあたり目前の若い青い草の味を楽しむ。生というものが最初から死をその中に含んで |
いるからだ。 |
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「ライオンとウサギでうまれ変わるならどっちがいい。」 |
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と聞かれたら、大抵の人は『ライオン』と答えるだろう。その理由は多分、ウサギよりライオンの方が優位な位置に立っているからだ(外見は別として) |
。私もどうせなら食べられるより食べた方がいい。それに、よく自分が食べられる方の立場にいたら、という想像をすると背筋がゾクッとする。毎日の中で |
、完全に命の保証ができているというのが全くない状況では、人はどれくらい生活できるだろうか。昔の原始人ぐらいならなんとかなるかもしれないが、ま |
ず、現代人には無理だ。それは安心して暮らすことになれてしまったからである。 |
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私が小学生だったころの体験である。母が出かけることになっていた日曜日だった。母は私に |
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「それじゃあお母さんが帰ってくるまでに何か勉強、やっておきなさいよ。」 |
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とだけ言って出かけた。そして私は何をしたかというと、、、、、、何もしなかった。だって何をやれと命令されたわけでもないし、自分自身でもやる気 |
が全くなかったので文字通り何もやらなかったのだ。しかし、母は思いついてしまった。次の日曜日、、、、、、。母はこう言った。 |
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「この問題集とあの問題集とその問題集と、、、、、、これ全部やっときなさいね。」 |
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さすがと言ってはなんだが私は真面目にやったと思う(結局半分ぐらいしかできなかったけれど)。やはりそれはある時間内にこれだけの物をやれと、課 |
題のようなものを与えられたからではないだろうか。その課題のおかげでだらだら過ごしていた私も少しは勉強をやろうとしたのかもしれない。 |
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いつからだろうか。私達人間が間延びした生き物に変わってしまったのは。女の子などは、食用の牛が殺されるのを可哀想だと言う。しかしそれは、ある |
意味しかたのないことなのである。私達は食べなくては生きていけないから。だから昔の人は狩りのひとつひとつにも命をかけていたんだと思う。現代では |
ハンバーグを食べるのに命をかける必要はまずない。そういう根本的な所から変わってきてしまったと私は感じる。確かに、何の価値もない殺し合いは無意 |
味だ。動物は本来、食べるため、自分を守るために相手に攻撃をするのだから趣味での狩りは自然に反している。ではどうすれば良いのか。私は自ら目標を |
作っていくのが適作だと思う。今はもう人間がその危険なゲームに参加することは不可能だからだ(狩られる立場として)。名言からは『何事もしない者だ |
けが失敗もしない。』を引用する。死を目標として努力するのも一つの道ではないのだろうか。 |
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