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文化という構造の価値 イチゴ の広場
ユッコ あるろ 中1 いろいろな条件にせいやくされた文化という構造体における価値とはどのようなものか。それは、他のさまざまな項目との間で、対立をしながら、相対的に 価値が決まっていくものなのである。だから、文化によって異なるときに、難しい問題が起きるのである。それは、別の文化を自分の文化に内在する構造に 従って位置付け、日本的な価値を与えようといった問題だ。この原因は、その項目に価値を与える全体の項目が、多くの場合違っているからである。従って 、いろいろと食い違いが生じてくるのも当然である。  

 こう難しい言葉の文ばかりでは、わかりにくいので例をあげてみよう。
 

 私は、二年ほど前、合宿でフランス料理をはじめて食べたことがある。まず、スープが出てきた。私は、持ち運ぶのが大変だから、まだこれだけしか運ん
でいないのだと思い、みんなで次に料理がくるのを待っていた。しかし、なかなかこない。先生が、  

 「あら、まだみんな食べないの。もう食べていいのよ。」
 

 と、おっしゃった。私は、まだ料理がまだできてないと思いながらスープを飲んだ。すると、そのスープは、ほっぺが落ちるほどのおいしさだった。だか
ら、最後に飲みたかったとおしみながら、チョビチョビ飲んだ。次に、サーモンとたまねぎの料理がでた。これもおいしかったので、少しずつ食べていた。 すると、次の料理「ライス」が運ばれてきた。私は、  

 「やったー。ご飯がでた。ここのコックさんとろとろしてるなー。」
 

 と思いながらご飯、サーモン、ご飯、たまねぎという風に、ごちゃ混ぜで食べた。次に、パスタがでた。私は食べながら思った。いちいち店員の人が私達
の食べ終わった皿をかたずけてくれなかったらこのテーブルは、まんぱんいじょうになってあふれだすだろう。それに、何でこのように順番に料理が出るの だろう。やはり、いっぺんに出すとテーブルがまんぱんになるからかなと……。その後も、いろいろと料理が出てきた。しかし、このように、ごちゃ混ぜに 食べることは、フランス料理では、行儀がよいとは言えないのである。料理が出た順番ずつ食べていくのが良いのである。日本では、その逆で、こちらのも のを食べたら、あちらのものという風に、ごちゃごちゃに食べていかないと行儀がいいとは言えないのである。  

 この例から、文化という構造の価値がわかるだろう。
 

 文化によって、価値が違うということは、考え方が違うということに等しい。このことによって、食い違いが起こるのは、当たり前なのである。
 

 
                                       
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