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「まぁ!いやらしい。」 イチゴ の広場
いくは 高3

      「まぁ!いやらしい。」      
 

 「まぁ!いやらしい。」子供を持つ母親の多くは、こう言うだろう。子供の教育に悪いと、この絵を見せもしないだろう。確かに女性は裸である。前屈み
になった背骨の緩やかな曲線や、胸部から腹部にかけての肉が引力によって骨にそりながら垂直に垂れている具合は、何ともリアルで美しい。呼びかければ 、顔をあげ、弾力ある腕を振り、はにかみながらも微笑んでくれそうだ。  

 だからといってこの絵は官能画ではない。古来より裸婦はよく題材にされ、官能的な裸婦も多く描かれた。神話の女神まで官能画にされた。快楽に満ちた
表情や、艶かしくくねらせた裸体は、人々の情欲を高揚させたに違いない。では、この裸婦はいかがだろう。彼女の視線は足元に注がれ、はっきりとは見え ないが、快楽に満ちているようには考えられない。それにこの裸体は淫らだろうか。不安定な姿勢を支える足はとても力強い。艶かしさとは程遠い、たくま しい筋肉を作者は描いている。また官能画ならば、目的は裸婦なのだから他は存在が薄くなるよう描くはずだ。けれどもこの背景はきっちりと存在を主張し 、こちらにも目がいくよう描かれている。そこに作者の意図がある。この絵は、官能画でない事を暗に主張し、裸婦としてではない、人間の肉体としての美 しさを表現しているのだ。肉体の美しさを表現する時、裸体を選ぶのは自然なことだ。それをいやらしいと嘆く人は、このことを理解できないのか、それと もその人自身がいやらしいかだろう。  

 しかしこの絵に限らず、裸婦を見る時は、やはり心が緊張する。そのリアルさゆえか、裸体ゆえか。作者は、それさえも見据えていたのだろうか。
 

 
                                                 
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