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人間にとって必要なこと アジサイ の広場
ナズナ あもせ 小5

 哲学者は自分があまりものを知らないと言うことを知っている。だからこそ哲学者は本当の認識を手に入れようといつも心がけている。ソクラテスはめっ
たにいない人間だった。ソクラテスは人生や世界について知らないとはっきり自覚していた。哲学者とは自分にはわけの分からないことがあることを知って いる人、そしてそのことに悩む人だ。  

 私ははじめて「飛び級」というものを知ったとき何度も首をかしげた。飛び級とは(例えば)小学生がいるとする。小学生はとても賢かった。授業でやっ
たことをすぐに覚えてしまい、小学生が本当は小学生なのに頭が良いから中学にいったりすることである。  

 私は塾で一番印象に残ったことがあった。塾の算数の先生は映画がなによりも好きだった。ある日、その先生に生徒が言った。
 

 「どうして映画が好きなんですか。」
 

 先生は余裕でこういった。
 

 「実はですねぇ、私は本よりも何よりも映画が好きです。それはどうしてかというと、例えば飛び級する小学生がいるとします。でも、その小学生はいく
らほかの科目がのびたとしても国語だけ伸びないんですよ。普通の人は本を読まないからだといいますけど実は、、、ちがうんです。飛び級する小学生は例 えば大学に飛び級しました。小学生は大学に通っていますが、小学生はあくまでも心は小学生にすぎないのです。だから、小学生は大学生達の使う、例えば 分子などという言葉を理解できないのです。だから小学生が大学に通っているかといって大学生向きの本を読ませるとまったくわからないのです。だけど、 映画は本とは違うんです。先ほど言ったように本では「分子」と言うことが理解できなくても映画を見ていると『これが分子か』と実際に似せた画像が出る ので理解できます。つまり映画ではいろいろな世界が広がるわけなのです。だけど本では、いかに言葉を知っているかで限界が決まってしまうんです。だか らです。」  

 多分先生は「人間には限界がある」ということを言おうとしていたのだと思う。
 

 ある本で読んでわかったことがある。筆者の言葉である。その本の筆者はこういう。
 

 「私が本を書くときは自分の知っている限りの言葉をつかって本を書きます。無理して自分ですら分からない言葉を使うと、書いた本人も理解していない
ので読者のほうはもっと理解していないのです。知らない言葉を知っているように書く、それを私はけして書きたくありません。」  

 この文章で人間には限界がある、だから無理をしてはいけないということがわかった。勉強だってそうである。今まで習ってきたことを利用しながら解い
ていく。まさにマイペースで。だから私は「正直の頭に神宿る」という言葉をいつ聞いても納得できる。  

   
                                     
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