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小6 |
この世界そのものはどうなっているんだったっけ。世界は宇宙空間にふわふわと漂っているんじゃなかったけ・・・・・・。悲しいことに、私たちは大人に |
なるにつれ、重力の法則になれっこになるだけではなくて、世界そのものになれっこになってしまうのです。私たちは子供のうちに、この世界に驚く能力を |
失ってしまうらしい。それによって、私たちは大切な何かを失う。 |
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私には目の錯覚というのがよくおこる。たとえば、夜に窓の方をむいているときだ。そこに干しているものが人影のように見える。目が暗闇になれてきて |
からよーく目をこらしてみてみると、ティーシャツやしゃつだったりするのだ。(おそろしやι)葉っぱばかりの絵をずうっとみていると、カタツムリのか |
げにみえてきたりする。そういうのが不思議だとおもった。お母さんやお父さんに初めて聞いた時は「それは目のさっかくやけんや」といわれ、そのときは |
納得していたが、今、思ったんだが、目の錯覚はなぜ、どうやっておこるのだろうか。という疑問が浮かび上がってきた。それはまだ私の知らないことであ |
る。きっと大人になるといろんなことを色んな人に教えてもらってそんなことも当たり前のようにふるまっていて、自分もだれかに教えているころではない |
だろうか。この長文の著者が言うとおり、人間は大人になっていくごとに、世界になれっこになってしまうのであろう。 |
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この著者は、「残念なことに・・・・」とかいているが、私はちっとも残念じゃないと思う。だってなにもしらなくて、何でも不思議に思っているよりも |
色々知っているほうが安全だと思うからだ。もし包丁とはどんなものだろうとか思ったときにさわってためしてみる。そして手がザクっと切れる!(その前 |
に親が止めると思うが・・。)だから世界になれっこになってしまったほうが、いくらか安全だ。だけど著者はその後に、「・・・それによって、私たちは |
大切な『何か』を失う。」とかいている。その『何か』とは何なのかがわからないと、話しにならないと思った。 |
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私は、この長文を読んで、著者とちがって人間は「世界になれっこ」になった方がいいという考えを持った。これによって、考えることは人それぞれなの |
であるということが分かった。 |
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