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世間人にはなるな |
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たば星人 |
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あころ |
中1 |
社会は、個人から成り立つものとされている。しかし日本人の多くは社会を構成する個人としてよりも、世間の中にいる一人の人間として行動している部 |
分の方が多い。欧米人は、日本人を権威主義的だとみることが多いが、それは日本人が常に世間の目を気にしながら生きており彼らから見ると個性的ではな |
いように見えるからだ。日本人の多くは、広い狭いの差はあれ、世間がある。世間は日常生活に必須なものに見えるが、その世間が持つ排他性や差別的閉鎖 |
性は、公共の場にでたときはっきり現れる。そのようなとき私たち日本人には、自分達が排他的な世間をつくっているという認識がほとんどないのである。 |
ここまでが筆者の考えだが、簡単にいってしまうと、「世間の中で生活していると他の人が見えなくなり迷惑をかけてしまうことがあるから気をつけなさい |
。」ということだと思う。 |
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僕はこの意見に賛成だ。その理由は第一に、本当に迷惑をかけている人を見たからだ。それは2001年の元旦の日僕はボーイスカウトの奉仕で明治神宮 |
のかがり火を守っていました。するとふとみたところになんと「ジベタリアン」がこっちを向いて鳥居のしたに和になって座り込んでいたのだ。そしてなん |
と二人で参道の真ん中で喧嘩(じゃれ合い)を始めたのだ。そのまま見ていると、通行人はみんな迷惑そうに通っていったが、僕はあんなことはしたくない |
と思った。こんな風に、世間のことだけに気を取られていると、他人からはだらしなく思われることが多いと思う。 |
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第二に、世間の中に住んでいると社会のことに目がいかなくなり社会をだめにするかもしれないからだ。例えばクラスの中でいじめがあったとする。ここ |
で見ていた人が学校という社会の一部として行動すると、先生にいうことになるのだが、クラスという世間の中にいると思っている人は、このことを先生に |
はいわないと思う。こういうことがあると社会がだんだん悪くなっていくのだと思う。 |
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確かに世間の中にいればのけ者にされないので居心地は良いのかもしれない。しかし、そんな楽ばかりしていたら、本当に社会がだめになると思う。「私 |
たちの幸福が、ほかの人々の不幸に支えられているのであってはならない」という言葉にあるように、自分が楽でも他の人には迷惑なこともあるのだ。それ |
を自覚して、人の迷惑にならないようにしていなければならないと思う。 |
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