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清書:公園再発見 アジサイ の広場
UZI.SMG そお 高1

 日本において庭というと塀に囲まれた個人的空間というイメージがある。もちろんそのような日本人がもつ庭の概念を否定しようとは思わないしそれはそ
れであっていいと思う。だが、もっと広大な公園のようなものであってもいいはずだ。  

 こう思うのもある一つのエピソードによる。江戸の町は家康の命によって、彼の故郷である駿府、つまり富士山をどこからでも仰げるようになっていたそう
だ。だからその方角に邪魔になる建造物がないようになっていた。また、当時の価値観から、空間を贅沢に使う平屋建てこそ富裕の証としてみんな平屋建てを 好んだ。これはマルコポーロが『東方見聞録』にて「ジパングの民家は朝日が昇ると屋根が黄金色に輝く」と記していることからもわかるように、町全体の屋根 という屋根が皆同じ高さであったため日がさすと見事に屋根が照り輝いていたということだろう。また、いつも想像するだけでも感動するのだが、この町を天 守閣から見たときどうなることやら。このことを思うと壮大な美的空間への憧れが募るし前例があるだけに現実味もある。これを、町ぐるみ、国単位での計画 的な設計によってできた公園の一種とみなせるだろう。  

 このように庭や公園についてよく考えてみるべきだと思う。ここはひとつ「公園の広さが心の大きさ」だと思って、壮大なスケールの公園を作ってみてはど
うだろうか。その際注意して欲しい点は、まず一つに景観への配慮。第二に球技や追いかけっこが出来るくらいの十分なスペース。第三に日向ぼっこが出来る ような穏やかなスペース。第四に緑の多い自然観のある場所で、妙な彫刻やら建物を作らない。このようにしてみんなが休日になると行きたいと思えるような 空間を作って欲しい。  

 
                                                   
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