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世間をかえる勇気 エンジュ の広場
はるる くあ 中2

 社会は個人から成り立つものとされている。しかしながら、現実の日本人の多くは、社会を構成する個人としてよりも、世間の中にいる、一人の人間とし
て行動している部分の方が多いのである。日本人の多くは世間の中で暮らしている。それは、個人の性格にもよるが、世間の中で暮らす方が社会の中で暮ら すよりも暮らしやすく、楽なのだ。その世間がもつ排他性や差別的閉鎖性は公共の場に出たときにはっきり現れる。  

 よく、いじめは見ている人がとめなければいけないといわれる。確かにいじめは悪いし、それをとめることはある意味偉いと思う。けれども、普通の人は
なかなか止められない。だってその「いじめ」というものは、私の体験だと仲間同士の絆の確認も含まれているからだ。(私はそう思う。)だから当然裏切 ったらひどい目にあうことは、九十六%あると思う。ならば、どうすれば良いのか。  

 私が考えたのは、学校という世間の外にいる人が助けてあげればいいんじゃないのか。しかし、これには一つ問題がある。はっきりいって、外の人たちは
気づかない。ゆえに  

 止めることができない。、、、、、、そうか、いじめが消えない理由はここにあったのか。(ちょっと納得。)でもそれじゃあ、永遠にいじめは消えない
。となると、いじめは一生消えないんじゃないのかと思いはじめてくる。  

 なるほど、世間とはかなり残酷なものだということが今更分かってきた。アメリカ人は、テレビで
 

 「日本人は自己主張がたりませえん。」
 

 といつも言っている気がする。けれども、それを日本で実行したらどうなるのだろうか、、、、、、。多分、「出る杭は打たれる。」と思う。やっぱりい
きなりもっと自己主張をしろと言われても、難しい。  

 私たち日本人はずっと昔から「世間」によって成り立ってきた。名言からは「真によいことは、新聞に大きな騒ぎを起こすことなく、小さく始まる。」を
引用する。自己主張をすることが必ずしも良いこととは限らない。けれども、この結構陰気な世間を少しずづかえていくのも良いと思う。  

 
                                         
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