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言葉がこれだけいい加減か |
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たば星人 |
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あころ |
中2 |
科学は記述から始まる。現象をコトバで記述する。ある現象とあるコトバが厳密に一対一に対応しているならば、誰が現象を記述しても同じ記述になるは |
ずだ。ところがそううまくはいかない。コトバの表記はいい加減である。イヌのことをイヌと呼ぶのは、別にさしたる理由があるわけではない。別の表記で |
も良かったのである。世界は連続的に変化する。我々はそれを適当に切り取ってコトバで言い当てようとする。言葉による世界の切り取り方は根拠がない。 |
というのが作者の考えだ。 |
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僕は、この人の言っていることは(書いていることは?)正しいと思う。言葉がいい加減だから、他人とコミュニケーションをとっているとき、話が食い |
違ったりする。これをみんなは、「誤解」というコトバですましてしまう。僕は、「誤解」を「誤解」というコトバですましてしまってはいけないと思う。 |
その理由は第一に、毎日使う言葉だから、食い違っていてはいけないと思うからだ。僕にもたまにそういうことがある。例えば、母に「その本、とって」 |
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と頼むと、 |
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「はい」 |
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といって、僕がとって欲しい本の横にある本を取ってくれることがある。このような誤解が、もし友達との約束のときに生じたらたぶん友達との関係は少 |
し遠くなるだろう。このような悲惨な結果を防ぐためにも、コトバをいい加減にしてはいけないと思う。 |
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第二の理由は、コトバが適当だとつくづく思うからだ。コトバが、適当なのに誤解なく言葉を伝えるのは至難の技だ。どれだけコトバが適当かというのは |
そのコトバの意味を考えてみればわかる。例えば「トマト」や「バナナ」などの食べ物や、「イヌ」や「猫」といった動物類などの固有名詞は、意味がない |
ことが多い。どれだけコトバがいい加減なのかが良くわかったと思う。 |
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確かに、いい加減でも通じればいいという考え方もわからなくもない。しかし、「人はその制服のとおりの人間になる」という言葉にあるように、ずっと |
いい加減な言葉を使っていると、自分の性格までいい加減になっていくような気がする。 |
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これ以上いい加減にならないよう省略をなるだけしないように努力した方がいいような気がする。 |
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