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自然を守れというけれど・・・ ウグイス の広場
ナズナ あもせ 小6 獰猛な捕食者に比せらせる様々な思いと戦い、きたえぬかれた大思想を、大陸の人々は生み出してきた。偉大なこととして尊敬したい。しかしこれらの大思 想は、人間が取り組んで幸福に感ずる思考の範囲を、はるかにこえてしまっているのかもしれない。動物に無理のない体のサイズがあるように、思想も人類 に似合いのサイズがあるように、思想も人類に似合いのサイズがあるのではないか。日本よりさらに小さな島にいて、大思想を持たないシアワセさと、いく ばかの劣等感とを、日々あじわっている。  

 たとえば私の学校の音楽会では同じ学年にも関わらず、思わず息をのんでしまうほどの大曲を演奏するクラスと、みてもいられないほどくだらない曲を演
奏するクラスがあった。くだらない曲を演奏するクラスは、低学年とちがってかわった楽器などを使っている。なのにあまり上手ではなかった。大曲のクラ スは変わった楽器や珍しい楽器を使っていないのにも関わらず、まるで私は目が点のようになってしまうのだ。  

 一学期の初め頃、先生はこうおっしゃったことがあった。
 

 「私には『ふつう』とか『△』とか『なんでもいい』は通用しません。私は『はい』か『いいえ』か『○』か『×』かです。また私は『五十点』をつけま
せん。『百点』か『零点』です。」  

 随分厳しいなあ(笑)と私は思っていた。だけどこのはなしは大陸と島国かどちらかと聞かれると多分大陸派であろう。さて、人間と動物はどちらかとい
うと仲が悪い。たとえば優しく抱いてあげようと思って鳩を捕まえようとすると逃げられてしまう。ライオンに触れようとすると鋭い刃で手をかみ切ろうと する。そして住む場所も人間がめったに近寄らない森や山。なぜだろう、なぜ動物たちは人間と仲をよくしてくれないのか。それは恐れているからだ。人間 に殺されると勘違いしているのだ。どうしてそんな誤解をするのだ。人間である。捕食者が動物を殺したからだ。捕食者だけが殺したはずなのに人間全体が きらわれている。しかし、私達は捕食者が悪いとは言いきれないのである。ここからが肝心なところだ。普段私たちが食べている食べ物は何千、いや、何万 と言う種類の動植物だ。たとえばハンバーグ一個はまずパンには小麦粉と塩とバター。バターは牛乳からできている。またそこに挟まっているベーコンは豚 のバラ肉を燻製にしている。チーズもぎゅうにゅうからできている。ハンバーグ一個でこれほどの動植物と関わっている。また魚なんて特にいい例だ。魚は 減っている。だから人々に「とるな!」と言われている。漁師は魚を捕る。ところがどうしたことか、人々は食べている!!さっきまでは「とるな!」とい っていたはずがたべているのだ。  

 だから漁師だけがわるいわけではない。食べている自分たちも悪いのだ。
 

 「自然を壊すな!」と言われているが結局私たちは自然を壊さなければ生きていけない。しぜんをむだづかいする。例えば紙は木からできている。人間は
その紙を十分無駄遣いし再生紙となって生まれ変わる。ところが再生紙は捨てられると再再生紙にはうまれかわらない。また、普通の紙を再生紙に生まれ変 わらせるためにそれまたごみがでてしまう。だからといって再生紙工場の人が悪いだけでなく紙を無駄遣いする自分たちも悪い。だからといって紙を使わな いわけにはいかないということがわかった。ただの紙のはずなのに千円札にすかしがある技術よりも、動かないはずのロボットを動かすことよりもまずは日 常的なことから考えていった方がいいだろう。  

 そしていつか…きっと動物と人間が仲良く生活できる日が来るだろう。
 

 私は信じている。
 

 
 

   
                                     
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