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清書:昔話の大切さ エンジュ の広場
ひろりん あしゆ 中1

  昔話の大切さ
 

  馬場 尋子
 

 私たちはお話を声によって伝達される文学と考えている。お話とは昔話のことで、それは普遍的、根源的であり、素朴な心の持ち主にもよくわかる表現形
式になっている。つまり、子どもの興味た心理や理解能力によくあうのだ。また、昔話には人間が物語をうみだし、それを支えてきた心の動きや力のもとが 内蔵されている。子どものときに少しも昔話にふれていなかったら、文学を味わい楽しむために必要な,大切な要素がかけおちてしまうだろう。  

 私の家には昔、「お話365日」だかなんだかという本があった。365日というだけあって昔話やイソップなどなどいっぱいのっていて、よく寝る前に
読んでもらっていた。その中で一番印象に残っているのは、「長靴をはいたねこ」だ。印象というより、湖のそばで主人公とお姫様が結婚式をあげているの を見ているねこの場面がまだ記憶に残っている。いま思うと、「どこがおもしろかったんだ?」という感じだが、たぶんねこが長靴をはいてしゃべっている のが妙で面白かったんだと思う。ふつうねこと長靴なんて結びつかないし、読んだ昔話の中でねこがしゃべったことは1度もなかった。ねこが好きなことも あるし、ねこと長靴、という意外な組み合わせが好きになった秘訣だと思う。  

 昔話には大きな力がある。それを私的に考えると、子供に物語の興味を引かせてしまうところだと思う。「子どものとき昔話にふれていなかったら、何か
大切な要素がかけてしまう」というのもいえるし、いい例が私がそうだ。こういうお話をよんだおかげで本が好きになったし、昔話で今の土台がつくられた といえる。昔話がすたれなかったのはそういう理由だと思う。                                                  
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