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自信を持つべし |
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たば星人 |
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あころ |
中2 |
日本のある会社が香港で現地の人を採用しようと求人広告を出したという。するとまたたくまにたくさんの香港人が押し掛けた。さっそく面接をしてみた |
が、たいがいの人は、挨拶程度しかできなかったそうである。もし日本人に、「あなたは英語が話せますか。」と聞かれたら、たいがいのの人は、「少しだ |
け。」と答えるだろう。なぜ「はなせます」といわないのだろうか。それは、恥ずかしいという理由もあるだろうが、もし「話せます」と答えた場合、その |
責任を自分が取らされた上、理解できなかったらどうしようという不安が一瞬脳裏をかすめるからである。そこで、内心自負している人も、「少しだけ。」 |
と答えておく。その方が無難である。これが日本流「謙譲の美徳」なのである。 |
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僕は、日本人も自信を持った方がいいと思う。その理由は二つある。 |
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まず第一に、自信がないと何事もはかどらないと思う。それは、今日こんな事があったからだ。それは漢字の練習をしている時の事、自信のない漢字がで |
たのでどの漢字を書けばよいか考えていると、僕の父が部屋に入ってきて、 |
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「考えないとかけないような漢字は、練習しろ!!。」 |
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と怒られた。それは僕が自信を持って漢字を書いていれば怒られなかったことだ。怒られてわかった事だが、怒られている間は、時間のロスなのだ。怒ら |
れなくても、自信がないと、必要以上に見直しをすることになる。これも、一、二回すれば済むのに自信がないと、何回もしなければならなくなる。だから |
、僕は自信をもった方がいいと思う。 |
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第二に、自信がないと何かを始めるときに始めにくくなり、はじめの一歩が小さくなってしまう。それだけ自信のある人より、遅れがでる。それが原因で |
、また自信をなくす。はじめの……。というふうに、悪循環になると思うからだ。 |
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最終的に、謙譲の美徳を使うことは、余りよいことではないと思う。自分を自分で |
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「おまえはだめなやつなんだ。」 |
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と暗示にかけている様なものだと思うからだ。確かに、自分が責任を取らされるという不安もあると思うが、それを心配していたらきりがないし、自信が |
ある人に遅れを取るだけだと思う。「大なる自信と大なる真実とは、ともに立ちて人間を全うすべきものなり」という言葉にあるとおり英語がうまいという |
真実があっても自信がなくて殻に閉じこもったままではその真実の通りには行かないと思う。だから何事にも自信を持って取り組んでみてはどうだろうか。 |
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