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脱マスコミ アジサイ の広場
UZI.SMG そお 高2

 最近のマスコミの報道を見ていると低俗さを感じる。テレビ、新聞、雑誌どれをとっても視聴者が喜ぶことをその望みどおりに書き立てているように思う
。確かに視聴率や購読者数を伸ばすというのは企業として生き残るために必要である。しかし、マスコミというのは普通の企業とは違って、ある事件や事実 を大衆に伝達することが業務内容であってフィクションを創るのが目的ではない。どうも最近のマスコミは事実に基づいたリアルな小説を報じているような 気がしてならない。それも各社ほとんど内容が同じで、よりいっそう過激で劇的な話を求めている点も同じである。ではこの事実脚色の暴走を止めるにはど うすべきなのか。  

 
 

 まず、マスコミが最も重要な働きをする政治経済の分野を考えたい。(芸能はあまり読者との直接的な関わりがないと思うのでここでは考えない) 政治
といえば今は「森降ろし」一色であるが、これもまた問題がないわけではない。確かに彼自身無能だろうが、しかし事実の確認もなしに退陣を騒ぎ立てたり、 一方的に揚げ足を取るような、それこそ誤解を与えるような報道をしていたのも事実だ。それも各社そろって一方的にこけ下ろしている。肝心な政策や、汚 職スキャンダルなどをほとんど追求していない点は全くマスコミの怠惰としかいえない。新聞を開いても派閥構造だの、また出た森失言、といったような政 治の核心をついていない記事が多い。むしろ核心をついた記事がないといったほうがいい。こういった現状に陥ったのはマスコミだけではなく政治家自身に も責任がある。なにをどのように報道させればよいのかということを自覚し、行き過ぎたマスコミの報道に対して牽制、叱責をすべきなのだ。その点石原都 知事は勉強していない記者を叱ったり、モラルのない記者を退場させたり、また国民がなにを知るべきなのかを心得ている点で政治家としての責任を負って いると思う。ただ実は、視聴者である国民の側もそれは同じで、ちゃんと勉強して正確な事実とレベルの高い内容をマスコミに対して求めていくべきなのだ  

 
 

 また、同じ情報伝達媒体であるものにインターネットという巨大な存在がある。これによって下手をすればマスコミより早く情報が手に入るということも
あり得る事となった。なんでもインターネットでわかる、パソコンさえあれば、ということである。しかし、これは大きな錯覚である。このことに対して興 味深い一例がある。経済ジャーナリストの財部さんという方が、インターネットの普及によってネット上の情報は情報としての価値を失った、と言っていた 。つまりインターネットで情報があふれているからこそその真偽を確かめるために結局は自らの足と目で確かめなくてはならなくなったというのだ。この発 言に対して衝撃を受けたが、確かにその通りだと思った。つまり数あるがせねたから真実を見つけ出す能力というのが今問われているわけだ。そうなるとマ スコミも信じるなということになる。  

 
 

 このように考えると、結局個人個人がしっかり勉強して、情報の真偽を見極める能力を身につけることがマスコミの更正にもつながり、不信なるマスコミ
を頼らずに生きていく方法にもなるのだ。また、マスコミの恐ろしさを知るには映画『007 Tomorrow never dies』を見るべし。(笑) メディア王が特ダネを得るために戦争を仕掛けるという話であるが、まんざらデタラメとも言い切れない。かつてアメリカで新聞 王といわれたハーストはそれに近いことをやってのけている。彼は彼の新聞「ジャーナル」を使ってあることないこと書き立て政治家を陥れたり、また事実 犯罪を引き起こしたりしたと言われている。彼は「知ってるつもり」で登場した人なのだが、その番組の最後に彼のライバル紙で編集長をしていたジョセフ ・ピューリツァーという人の言葉が紹介された。「ジャーナリストの難しさはニュースを負う本能が手放しに走り出して正確性と良心を踏みにじってしまう  

 
                                           
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