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清書:誰に白菜を頼もうか。 アジサイ の広場
拓馬 ねき 高1

 合理的、機械的なものに対して、非合理的、人間的なものというのは、社会の様々な所で見られる。携帯の普及と共に発展したメールと、昔からの手紙は
、まさにその代名詞とも言える。メールは、合理的に早く安く、手紙には非合理的だが心を込めて、といったところか。  

 確かに、合理性が無い社会は考えられない。しかし、合理性の塊のような世の中が果たして幸せなのだろうか。両極端な意見だというかもしれないが、少
し前までは、それをめざしていたのだから、あながち極論でもない。「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉 強の目的である。」という言葉がある。つまり、丸暗記なら、機械の方が圧倒的だが、人間が持っている「心」は、丸暗記では得られない。人間はその意味 で、非合理性のなかに、生きる証を見出していくべきではなかろうか、ということだ。私は、機械に「白菜」と入力するより、「すまんが、その白菜をくれん かな、もし。」と売り子のおばちゃんにいって食べていく方が性に合っている。  

 
                                                     
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