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清書:清書:淡泊であること アジサイ の広場
正博 いえわ 高3

 私は淡白が好きだ。そう感じるのは、やはり私が日本人だからであって、そういった人たちに囲まれて育ったからだろう。
 

 短い文の中から美しいだとか悲しいだとか読み取れるというのはこういった文章に慣れ親しんでいる証拠だ。派手さとは縁がないが、これを読んでおもし
ろいと思える感受性をもっていてよかったと思う。  

 しかし、和歌や俳句などを読みなれていないせいだと思うが、本文を読んでいてもよく意味がわからないときがある。
 

 もともと何かを見るなり聴くなりして感じたことなどを書いているわけだから、そのときの作者の心境なども影響してくるわけで、読み取ることはかなり
難しいのではないか。  

 和歌や俳句がこれだけ短いのは、短い文章のなかにどれだけ自分の感じたこと凝縮して人に伝えられるかということだと思う。そんなことをしなくても、
もっと長い文章を書けばいいと言うのももっともだとは思うが、和歌と俳句が独特の魅力を持っているのも事実だ。  

 またいくらよい歌であっても、読み手の感受性が優れていなければ、文の意味は伝わらない。短い淡白な文を代表的な文化としている日本人は、感受性の
高い国民だと言えるのではないだろうか。  

 
                                             
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