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今というときを大切に |
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あころ |
中2 |
「ふしぎ」と言えば、「私」という人間が、この世に存在しているということほど「ふしぎ」なことはないのではなかろうか。自分が意志したわけでもな |
い。願ったわけでもない。ともかく気がつくとこの世に存在していた。「私」のふしぎを忘れ、魂のことを忘れて生きている人に、その「ふしぎ」をわから |
せる点で、児童文学は特に優れていると思う。 僕は、今まで「自分」というものを考えたことがない。だから、今考えてみよう。僕はなぜ生まれてきたの |
だろうか。筆者のいう通り、僕は |
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「生まれたい。」 |
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とも思っていなかったし、 |
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「生まれてくれ。」 |
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とも願っていなかった。でも自分は、ここにいる。こんな不思議なことはない。もしかしたら、ここで作文を書いているのは夢の中で書いているかもしれ |
ない。 自分の存在というのは、つかめない物なのだと思う。つかめるとしたら、自分が傷ついたとき(切り傷、擦り傷などの物理的な傷)か、ほめられ |
たり活躍したりして嬉しかった時だと思う。最近、自殺のためではなくて、自分という存在を確認したくて、自分の手首を切る人が増えているらしい。そう |
やって自分の存在を確認して初めて |
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「自分は生きているんだな。」 |
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とわかるという人がいる。それに対して、この作者は、児童文学を読んで自分をつかむことを勧めている。しかし大事なことは、自分をつかむことよりも |
、今の自分をどうしていくかだと思う。わざわざ手首を切って自分がいることを確認しながら生きるよりも、ただどうすれば自分が良くなるのかを考えなが |
ら生きた方が、僕はいいと思った。 |
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「家とは、外からみるためのものではなく、中で住むためのものである。」という名言にあるように、自分というのは確認するためにあるのではなくて、 |
だんだんよくしていくものだと思う。だから今というときを大切にして、いい人間になれるように頑張ることが大切だと思う。 |
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