講評 |
題名: | 自分の体の価値 |
名前: | 横浜太郎 | さん( | あわか | ) | 高1 | アジサイ | の | 道 | の広場 |
内容 | ◎ | 字数 | 2001 | 字 | 構成 | ○ | 題材 | ◎ | 表現: | ◎ | 主題: | ◎ | 表記: | ◎ |
あわか君らしく、いろいろな話題を取り込んで、大きな渦を作って、その渦の中心に「自分は臓器提供に賛成である」 |
という目をもってきたね。「小学生の大疑問100」の話は、「脳死」についての文章の出だしとして、ごくごく自然に収 |
まっている。「食人族」や「バリアフリー」の話は、結論にどう絡んでいくか、心配(失礼!)だったけれど、うまくつ |
ながっているね。つまり、死(体)を有効に生かして、ハンディを持つ人の望みとなるから、臓器提供に賛成、というこ |
となのね。 死んでしまった体を「みすみす灰にしてしまっては惜しい」という表現は、一見軽そうで、その底に深い思 |
いやりを感じるなぁ。ニーチェの言葉も、内容によく合っている。喜ぶべき人間の体はなくなっているけれど(死んでい |
るけれど)、その喜びという精神は生きている・存在しているということだね。 "☆" 発展させるとすれば、「僕は |
そう思う。しかし周りの人はどうだろう。」この点を考えてみるとよさそうだ。あわか君が指摘したように、「体は自分 |
だけでつくられたものではなく、周りの人たちの支えが合ってできたもの」であるからこそ、脳死・臓器提供については |
、個々人の考えだけでなく、周囲の人がどう考えているかが、問題になってくるからね。 |
けいこ | 先生( | なら | ) |