先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
文化の差? アジサイ の広場
AE86 えや 高2

 現代社会では、人やものが固有名詞で呼ばれるものであり、また呼ばれなければならないということは、経験を通じて徐々に学ばれるのではなく、たとえ
ばこどもが入学した学校の名をおぼえさせることによって一挙に教えこまれるのである。まことに固有名詞こそは、人類が決して一つではなく、さまざまな 名前――固有名詞をもって分かれ、それぞれが自分あるいは自分たちに対立するものであるということを思い知らせ、相互のちがいをいやが上にもきわ立た せ、それを固定させる道具である。  

 日本はとても鈍感な国である。実際に「日韓ワールドカップ」も、韓国側から「韓日ワールドカップにしないと認めない」などと言われてしまうのだ。そ
れだけ外国は固有名詞に敏感なのである。それに対して日本人は「どっちでも良いじゃん」という呑気な性格をしている。でも、視点を変えれば固有名詞を

「使わない」のではなく「使えない」のかもしれない。私は「日本人はよく謝る」ということを外人の先生から言われた。外人は電話を掛ければ「Hi! This
is ○○.」と言う。これを訳せば「こんにちは、○○ですけど」になる。しかし日本では「お忙しい時にスミマセン」などと言う。そもそも外国は、人に会えば

「Nice to meet you.」と言う。外人は、相手を格上して立たせ、日本は、謝ることで自分を謙らせて相手を立てるのだ。まぁ、文化の違いだろう。
 

 日本は海に囲まれた島国である。だから、攻められたりして植民地になったことも無い。固有名詞に対して鈍感なのはその為であろうか? 実際に「エス
キモー」は現地では「イヌイット」であり「エベレスト」は「チョモランマ」である。  

 確かに固有名詞は必要だ。しかし、普通名詞のようにオールマイティに使える言葉も悪くないのではないだろうか?
 

 
 

 
                                               
ホームページ