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清書:矛盾 アジサイ の広場
ホームズ なか 中1 僕は、ちょっとした矛盾は、必要なものだと思う。ただしそれは、ちょっとした矛盾であり、明らかにつじつまが合わないものとは区別する。  

 その理由は第一に、論理の枠組みから外れた矛盾した考え方が、、新しい発見や創造につながる事があるからだ。例えばここに、こんな問題があったとし
よう。「1+1=?」。このような問題は、普通なら、「1+1=2」という答えになる。しかしそれでは、何の面白味も無い。そこで(?)あのエジソンは 、こんな答えを出したという。「1+1=1」と。これは、エジソンがこう考えたからだ。まず、二つの粘土をくっつけた(「1+1」)。すると、粘土は大 きいものが一つになった(「=1」)このような事から、エジソンは「1+1=1」と考えた、というはなしがある。エジソンのように、少しの矛盾はあるが 、想像力を働かせて考えた方が、面白味がある。  

 第二の理由は、正しい事ばかりばかりを考えると、つまらないことがあるということだ。例えば、先程のように、「1+1=2」と答えると、あまりにも当
たり前すぎてつまらない。十代男性のストレス解消法(コニカ 1996年)の一位は、カラオケで、15,3%。これは、コンサートの様に、上手な歌を聴くより 、多少下手でも思い切り歌ったほうがいいのだと思う。  

 確かに、行き過ぎた矛盾はいけないものだと思う。しかし、あまり当たり前すぎてつまらないことをいうよりも、ほんの少し矛盾していることを言ったほ
うが、楽しい人生を送れると思う。そのため、これから僕も、くそ真面目なことと、少し矛盾したことを、けじめを付けて言っていきたいと思う。  

 
                                                 
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