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清書:脳死 |
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拓馬 |
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ねき |
高1 |
今の人間に「脳死移植」という事柄は、あまりにも荷が重いと思う。「死」を理解していない人間が、「脳が死にました。だから臓器を運びます」というような |
| ことは許されるものか。確かに、それらを必要としている人がいることは事実としてある。しかし、私が思うのは、「そういう人がいるから、今はやむを得ず |
| 、取りあえず」でいいのか、ということだ。現時点で第三者の視点である(もちろんこれから何があるかは分からないが)私から言わせてもらえば、私が私であ |
| るアイデンティティーは、決して心の中にあるものだけでなく、それこそ足の爪先から、髪の毛の先端までなのである。これが私だ。もちろん、それは死ん |
| でからも言えることだ。そして肉体も、等しく散って欲しいと思っている。私の肝臓だけ生きているとか、心臓だけ生きているなんて、ありえない。ひどい |
| エゴイズムというかもしれないが、これが私であり、現時点で否定することのできない自分なのだ。こういう思いを、私の意見はともかくとして、それぞれ |
| が持たなければならないのではなかろうか。 |
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