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中2 |
食べれると食べられる、どっちかというと僕は食べれるのほうがすきだ。理由は2つある。 |
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まず言いやすさだ。これはどんなに<られる>が頑張っても絶対に<れる>には勝てない。 |
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つぎに意味的な使いやすさもある。<られる>は意味がいくつもあり、誤解を招くこともあるのに対し、<れる>はスラッと理解しやすい。 |
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こんな風に言うと<られる>は欠点ばかりと思われるだろう。だが前段落の<られる>でも書いてあるとおり我々日本人の生活には欠かせない重要な言葉 |
| である。そして< |
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れる>は日本人の特性である省略して楽になりたいという心からうまれたものである。つまり<れる>が日本人のシェアなのは日本人が言いやすく独自に |
| 発展させたからだ。 |
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親に<れる>と<られる>どっちが使うかと聞くと |
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「日本語では正確に<られる>がただしいからなるべくは<られる>を使ってる」 |
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と答えた。では、どちらが使いやすいかと聞くと |
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「やっぱり<れる>の方がいい」 |
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という。ここから考えられるようにやはり標準にしようと意識しても使いやすい<れる>をいってしまうようだ。僕の親は学校で<られる>がただしいと |
| 文法の授業で教えられたうえに大人になっても意識しているのにでてしまうほど日本人はこの言葉を使いやすくしてしまった。 |
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それに僕の学校の文法の授業ではれる・られるをセットで覚えさせられた。これはもう、<れる>は正しい日本語として扱っていると同じだ。 <られる |
| >をもっと楽に話したいという気持ちがここまでシェアになった。そして<れる>は日本人の意志そのものだろう。だから僕は<れる>を支持したい。 |
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