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矛盾の本性 |
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ひろりん |
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あしゆ |
中1 |
いつから世の中が矛盾を恐れるようになったのか知らないが、どうも矛盾には良いものと悪いものがあって、嫌われる、いわゆる矛盾は良いものを除外し |
て考えているようである。劇薬は病気を治すのもあるが、不用意に使えば命取りになりかねない。どれもこれも毒として敬遠したほうが安全である、という |
のに似ている。どうも矛盾は悪いものに見られがちだ。しかし芸術は違う。この平面論理という暴れん坊にふみこまれたら、いかなる芸術の花も台無しにな |
ってしまうから、この単純な合理に適当に仮名をつけてお引取り願っている。人々もいわゆる論理なるものが間の抜けたものだと感じ取っている。ただそれ |
を口に出して言わないだけなのである。 |
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「平面的論理」というのは実につまらないと思う。例えば朝礼とかでの先生の話だ。さいしょになっがあーいはなしをして遠回りをしても、途中で話の先 |
が見えてしまうことがある。どんな話だったかは忘れてしまったが、 |
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「あーなるほど、でもこんなに遠回りしなく てもねえ・・・」 |
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としらけたことがある。他にも、余りなれていない友達としゃべった時 |
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「あーねむいねえ。」 |
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「うん。」 |
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「そーいえば○○先生○○なんだって。」 |
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「えー!うそ!」 |
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「なんかうわさで。」 |
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「へーそうなんだ。」 |
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「・・・・・。」 という悲しい会話をしたことがある。 互いに殺しあう矛盾はいけないが、想像や芸術をふくらます矛盾はいいと思う。会話も芸術に |
ふくまれている。私たちは普段矛盾は「つじつまがあわない」こととして悪く扱っているが、想像や芸術をふくらますなら逆の立場になるだろう。私たちが |
矛盾の本性を知らないだけである。 |
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