先頭ページ前ページ次ページ最終ページ
hyouryuu アジサイの広場
YESせし高1

 人間の「ひらめき」という物は突然頭の中に浮かぶ物だ。ひらめきというのはどのようなときに必要なのか?普段はそんなんにひらめきは必要ないと思う。
普段の生活からいって学生である僕たちはテストのときに急にひらめいて解ける。とか、そのくらいだと思う。僕たち学生はいつもはは知識を学びに学校に通っている。更に将来のためなどもあるが知識を学ばない学校はあるのだろうか?しかし知恵というのは学校では学べない。これは困った問題だ。どうするべきか? 

 人間の中身を円グラフにして見たいと思う。人間の中身というのはその人が持っている能力のことである。例えば知識・知恵・観察力・瞬発力・根性・集
中力・精神力など様々な物に分けられる。その中でもまた1%から100%までの数字で表せるとしたらどうだろう?今僕の中にはこれだけの物があるとして考えるとまず今習っている知識について。知識は今学校で習っている。しかしその知識は勉強や進学以外のところで使えるのだろうか?例えば無人島のジャングルで一人暮らしをしなければならない状況になったとしたら知恵という物は必要だろうか?それは多少は必要であろう。料理の仕方などをする知識。次に何をすれば良いかと考えるときに使う知識。このくらいではないだろうか?ジャングルで一人暮らしをするときにはこのくらいの知識があれば良いのだ。数学なんかはやらなくていいし国語なんかしゃべれれば良い。学校で習っている必要なことはこれくらいで良いのだ。次にこの無人島のジャングルで一人暮らしをしなければいけない状態で知恵はどのように使われるのだろうか?ジャングルで肉が食べたいとしよう。そういうときには何かを取らなければいけない。そこで考える。そこで知識も必要となるのだが仕掛けを作りたいとする。そういうときこそ考えてひらめく。イコール知恵を使うことになる。仕掛けというのは自分より単純な生物がその自分の考えた罠にかかるということだ。自分が考えた罠に引っ掛からないとしたらその生物の方が頭が良いということだ。そして罠を仕掛ける。しかしその罠が壊されてしまって何もない状況になってしまった場合次に必要なのは観察力と瞬発力などになってくる。魚を捕りたいけど魚がどのように動くか知らなければ取れないしもしどのような動きをするのか分かっても素早く動けなければ捕まえれられないし、といった状態になる。そして瞬発力をつけて魚を観察していざ捕ろうと思ってもなかなか捕れない。こんなときには根性が必要だしより多く集中できるかが勝負ということになる。 

 このように無人島で一人暮らしを言うのは相当難しいことだ。しかしそのことで多くの事が必要となってくる。学校では知識しか学べない。されに評価さ
れない。それではいけないと思う。お見合いなんかしても学歴を聞かれたりすることがしばしばあると思う。その学歴をもとにその人がどのような性格でどんな人か決めつけるのはよくないと思う。学校も知識以外にそのひとのいろいろな部分を評価することが大切だと思う。けして知識が必要でないといっているわけではない。しかし一部分の方向からしか見ないのではなく四方八方からその人間を見て評価していく方が良いと思う。 

 
                          
ホームページ