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人間の「間」 エンジュの広場
ミュウあおゆ中1話し手上手と呼ばれる人は、意識して、あるいは無意識の内に、うまく「間」を取り入れている。いかなる名言、名文句も、同類のものがただすきまもなく積み重ねられるだけでは効果乏しく、文章の力みも、ただそればかりでは弱みに転じてしまうのは苦い教えだ。「間」の事を思う時に、私はよく、荻須高徳のパリの風景画の朱色を見ています。 

 話上手の人のように間を取ってめりはりを付ける事に賛成である。私はあまり話し上手ではない。いつも話したい事がいっぱいの時、早口で言い過ぎて、
舌をかんだり、口がからまったりする。話し上手の人は、「間」と言うものをうまく話の中に取り入れて話しているんだとおもう。微妙に「間」をとって、話しやすいようにしているのだろう。私はそれが上手くできないから舌をかんだりする、話下手なんだと思う。 

 私は、学校の運動会の時の行進のときなども、同じような事が起こる。行進の時、横の列に合わせて行進しないといけないのに、急ぎすぎて進んでしまっ
ていたり、足をだすタイミングが皆とずれていたりする。最近出来るようになってきたが、きちんと「間」をとると、ずれず、皆のペースに合わす事が出来るし、自分自身もばらんすがよくなってくる。 

 「間」を取らないであることをすれば、それをやる回数が多くなるが、私はやる回数が少なくても、間を取り、バランスが取れる方が良い。生活リズムの
バランスをとるには、間が必要なきがした。                          
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