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A アジサイ の広場
YES せし 高1

 日本の文化とアメリカの文化を比較してみると特に変りはない。がっ、しかしそれは外見的に見た物で内面的には一緒かもしれない。これはどういう事を
言っているかというと難しい。そこで今からある一つのお話をします。  

 ちょっと昔の事だった。ある天才少年がある町にいた。天才少年は何でもできてしまう為みんなから感心されていた。そこでA君がいた。A君はそんな天
才少年にあこがれていた。A君は普通の一般生徒毎日コツコツと練習を重ねたりしながら暮らしていた。しかしある日突然その生活に疲れてしまった。なか なか実績が無くて悲しくなる毎日だった。そんなA君が思いついた事は「僕も天才少年の真似をしたらあんなふうになれるんではないか?」そしてA君は天 才少年に毎日の生活内容を聞き出して真似をしてみた。その後・・・。  

 こんな話だ。このあとA君はどうなったのかな?それはだいたい見当はつくであろう。みんなだって一度は思った事があるはずだ。自分は誰かにあこがれ
ていてその人のようになりたいと。しかし真似をしてみたところでその人になれるわけではない。  

 日本はずっと昔から戦争していた。戦国時代はどれだけの血が流れただろう。戦国時代といえば色々外国との貿易も進んでいた頃だ。そこで考えてみよう
。戦国時代は別名織田信長時代だといわれる。織田信長といえば戦い方で有名な足軽鉄砲隊。(足軽鉄砲隊とは3列横隊した兵士達が順番に鉄砲を放つという 戦い方)足軽鉄砲隊とは卑怯だといわれた。しかし勝つ為にした事だから僕はいいと思う。日本の戦い方は勝つ為ではなく美しく勝つという目的だったといわ れる。しかしそれは負ける時も美しく負けなければいけなかったらしい。でも僕は美しく負けるなら汚く勝つ方がいいと思う。アメリカではもともと勝つ為 に戦っていたのだからどんどん武器は進歩しハードな殺し合いが続いた。そう考えると織田信長は日本に生まれるのではなくアメリカに生まれれば認められ たと思う。  

 結論的に何が正しいかというとそれらの原点である。比べるものの性質が違うと原点は全然違うものになると思う。だから文中でてきたA君のように人を真
似るのではなく何が自分に合っているのかを自覚して生活していけば恐れる事は何も無いということだ。  

 
                                               
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