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ノンフィクションとフィクションの良いところ
悪いところ アジサイ の広場
たば星人 あころ 中2

 ノンフィクションの書き手は、在るものを映そうとし、フィクションの書き手は、在るしめるために創ろうとする。ノンフィクションのライターに出来る
ことは、事実の断片を収集する事でしかない。事実の断片を断片として提出する。その断片の選び方、提出の仕方に、書き手の「人間」が混じり合ってしま う。「人間」の混入は、不可避である。それはこの世に万人が認める唯一無二の絶対的な事実があるのではなく、個人にとっての事実しかないという立場を 承認することでもある。つまりノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関するひとつの仮説に過ぎないのだ。  

 確かに、フィクションは嘘だという考え方もある。しかし、嘘だからこそいえることがあると思う。例えば、「走れメロス」という小説があるがあんな話
が現実にあるわけがない。しかし、だからといってノンフィクションではその作者が言いたかったことが十分には伝わらないと思う。フィクションで分かる ことが、ノンフィクションでは分からないことがあるのだ。  

 しかし、フィクションはあくまで現実ではない。ノンフィクションで伝わらないことがあるなら、フィクションでは伝わらないことがあってもおかしくは
ない。フィクションで伝わらないこと。それは、人間らしさだ。フィクションだとどうしても夢物語になりがちで、主人公には卑怯さや悪いところなど、人 間の裏の部分が見えないことが多い。しかしノンフィクションでは、その主人公の悪い部分が見えてよりリアルに楽しむことが出来ると思うのだ。  

 大切なことは、フィクションかノンフィクションかではなく、読者にその作者の言いたいことを伝えられればそれで良いと思う。つまりノンフィクション
の断片と断片の間にフィクションをいれれば良いし、それが嫌ならどちらかにすればよいと思う。要するに、言いたいことが伝わればそれで良いと思う。                                                    
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