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日本人の最終手段、 アジサイ の広場
健太 いせつ 小5

 日本人の最終手段、
 

 「そこをなんとか」という言い方はきわめてあいまいである。「そこ」とは何をさすのか。「なんとか」とはどうい
 

 うことなのか。おそらく、これをそのまま外国語に翻訳したら、まったく意味をなさないだろう。いや、意訳しても通じまい。だいいち、意訳しようがま
い。ところが日本人は義理人情にからまれてどんなに明白な拒絶の理由があろうと相手に熱心にたのまれたら、それをむげに断るのは、何か気がひけるよう に思ってしまう。われわれはそれを「義理と人情」のせいにするががもともと義理と人情とは正反対の概念なのである。正反対のもの一緒にし、折衷して、 日本人は独特の判断領域を設定するのだ。それは別言すれば「情状酌量」といってもよい。この言葉には日本人のものの考え方がじつによく現れているその 考え方とはすべては完全ではない、と言うことだ。そこで両者はいくばくかの部分が必ず保留されていることを前提に話し合い、その「残された部分」を見 きわめようと、この言葉を頻出するのだ。ようするに日本人はきめつけを好まずいつも融通無碍な可能性を残しておこう、とつとめるからだ。  

 日本人のこの「義理人情」でいちばん有名なのは「判官びいき」「義経びいき」などとよばれている。
 

 これは実際・源義経は兄におわれて平泉にいくが泰衡がうちとるというのだが、
 

 実は生存していて平泉―>蝦夷(いまの北海道)―>樺太―>中国と渡って「ジンギス=カン」になった、というものだ。これは年表をみるとすぐにまち
がっていることがわかる(笑)しかしいまでもこれを信じている人はたくさんいる。  

 わかったことは、「そこをなんとか」とは日本人の最終手段なのである。
 

 
 

 
 

 
 

 
                                     
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