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清書:ネアンデルタールの記憶 アジサイ の広場
眠雨 うき 高2

 毎日のニュースでピックアップされる凶悪犯罪は数知れない。時折公開される犯行者たち述は、他者への共感と同情を基盤としてきた、日本のアニミズム
の揺らぎを感じさせる。  

 このような問題の背景には、産業の発展に伴う子供の孤独があるではないだろうか。日頃もっとも身近な存在である親とのコミュニケーションが手詰まり
になれば、子供の人格が歪んでいくのも無理なからぬことだ。私の家庭では毎晩決まった時間に家族で集まって一日の出来事を話しているが、このようなち ょっとした会合でも、誰かと言葉を交わすという経験は貴重である。  

 相手の痛みを想像することは、決して無駄なことではない。痛そうだ、かわいそうだ、そうしたごく自然な感情の発露と共に、人の文明はここまで進歩し
たのだ。ネアンデルタール人は、眠る死者へ花束を贈った。現代に足りないのはかつてのかれらの「同情」ではないだろうか。ひとの痛みを我が物のように 感じる、古臭くも人間らしい、その風土ではないだろうか。                                                      
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