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見分けて得を... アジサイ の広場
由希子 あとえ 中2

 「食べられる」か「食べれる」か。「見られる」か「見れる」か。後者の用法は許されるか否か。あるいは、そんなことを公に議論すること自体、有益か
どうか。いわゆる「ら抜き言葉」に関心が集まっている。「どうして『ら抜き言葉』ばかり騒がれるのか」多方面にわたる議論をしてきたのに、世間の受け 止め方は、まるで「ら抜き言葉」しか取り上げてこなかったようだ。こうした関心の編りも含めて「ら抜き言葉」をめぐる落差と断絶自体が、国語問題の現 状を反映していると見ることもできる。若者の造語に旧世代はついていけない。同世代にしか通用しない隠語がまかり通っている。最近その断絶は深まるば かりだ。  

 新しいものは、かっこいいし、あこがれるけど、間違っているということもある。
 

 制服に、ルーズソックスや茶髪、ピアスをするのがはやっているが、私の中学校にも、そういう人がたくさんいる。私はそれを見て、「わあ〜かっこいい
。やってみたいな」と思うことがある。なぜなら、とてもおしゃれに見えるし、自分をださい人から脱出して、かっこいい人に変えたいという変身願望もあ るし、何より、最新ファッションだと思うからだ。いわゆる不良と言う人たちは、雑誌などをよく読んでいて、流行ファッションを自分に取り込んでいる。 歩くファッション雑誌みたいなものだと思う。(笑)だから、かっこいいと思うし、とてもあこがれる。でも、いくら似合っていても、かっこよくても、学 校にその格好でくるのは良くないと思う。ルーズソックスも、茶髪も、ピアスも校則で禁止されているからだ。私は、とてもあこがれるけど、校則は守るべ きだと思う。  

 しかし、古いものはかっこわるいし、きたないけど価値のあるものだったりするから大切だという意見もある。
 

 「お宝鑑定団」というテレビ番組がある。その番組は、古いお宝を鑑定士が鑑定して、値段を付けるという番組だ。お宝が偽物だったりすることもあるが
、たまにものすごいお宝がでてくる。そのお宝は、古くてきたない掛け軸だったり、つぼだったりするが、私は、「何でこんな汚い物が何億もするのかなあ 」と不思議に思う。古くてかっこわるい物でもものすごい価値がある物もあるんだなと思った。  

 確かに、新しい物も、古い物も、良い面と悪い面がある。「どちらかだけが大切!」なんてない。一番大切だと思うのは、色々新しい物と古い物との良い
面と悪い面を見分けられる目をやしなうと言うことだと思う。「最新ファッションはするけれど、校則は守る」「古いお宝を本物と見分ける」と言う風に。 きちんと良い物を見分けられる目を養って、得する人に成ろうと思う。                                                
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