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自然のおかげ |
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日本太郎 |
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あねひ |
中1 |
作曲に集中しているとき、不意に、音楽というものが、自分の知力や感覚では据えようのないものに思われることがある。作曲という仕事は、どうしても音 |
を弄り過ぎて、その音が本来どこから来たのかというような痕跡までも消し去ってしまう。方法論だけに厳格になると、ともすると音楽は紙の上だけの構築 |
物になる。音楽という有機的な流れの中では、その響きは千変万化するもので、その表情の豊かさは、まるで、生きた物のようである。ではなぜ、音は、恰 |
も生きたもののようにその表情を変えるのだろうか? 至極単純である。即ち音は、間違いなく生きものなのだ。そしてそれは個体を有たない自然のような |
ものなのだ。作曲は音と人間との協同作業だと思うから、作曲家は音に傲慢であってはならない。 |
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僕は、人間には謙虚さが必要であると思う。 |
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第一の理由は、自分の力だけで何かを作っていると、大したことのないものになってしまう。 |
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第二の理由は、自然に耳を傾けることによって、よりよいものが生まれるからだ。例えば、鳥の声は美しい。ほかにももっと美しい声を出す鳥はいないか |
な〜♪♪と言うように、自然のおかげで、好奇心が上昇すると言うような、いいことが起こる。 |
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確かに、芸術作品を作ることや、学校の宿題(笑)等、人間の意識的な努力も必要だ。しかし、自然に力を借りることも大切だと思った。人間の意識的な |
努力と、自然の力のバランスをよくしていきたい。 |
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