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新しい物と古い物 カモメ の広場
れもん ふれ 小4

 巳之助はマッチのかわりに、火打ちの道具を持ってきた。火花は飛んだが、火口がしめっているのか、ちっとも燃えあがらないのであった。巳之介は、今
になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。男らしく、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。  

 私はこの話を読んで、たしかに巳之助のように、自分の古いしょうばいがつぶれただけで、うらまなくてもいい相手をうらんだりするのは、いけないこと
だと思う。けれども、そうだからといって、環境にわるいことなどおかまいなしで、どんどん新しい物をつかっていくのは、よくないと思う。べんりになっ たからといって、使い方の良い、悪いをはんだんできなくなり、ダイナマイトのように、本当は、工事を楽にするためにつくられた道具なのに、うそをつい て買い、戦争に使うことになってしまうこともあるので、便利になることが良いともいえない。私は、どちらかといえば、古い物がなくなり、新しい物にな るのは反対だ。このごろ、何でもかんでも、新しい物になってきた。新しい物と古い物を比べると、新しい物の方が便利。もちろん、便利な物を使う人の方 が多い。それに、日本人のせいかくをかんがえても、どんどん古い物がなくなり、新しい物がふえる。古い物は、新しい物と比べると、ふべんだが、また、 新しい物とはちがったいいところがひとつひとつにあると思う。  

 たとえば、自動車と馬車。自動車のほうが、だんぜんに便利。けれど、自動車は、はいきガスで環境をよごす。かといって、馬車だと、とっても不便だ。
だから私は、自転車がいいと思う。  

 このように、新しい物がどんどんふえて、古い物がどんどんきえる世の中。不便だからと言って、新しい物をどんどん取り入れて、古い物をどんどん捨て
る。不便、便利、だけではなく、環境のことなどを考えて、新しいものを取り入れてほしい。  

 巳之助は、落ち着いて考えれば、自分にとっては本当は良かったことなのに、自分の商売がつぶれたからといって、母屋に火をつけようとしたりしたこと
はいけないと思う。けれども、自分の古い商売がつぶれて悔しい思いの巳之助の気持ちも少しわかる。  

 
 

     
 

 
 

 
                                         
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