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清書:「親子」関係 イチゴ の広場
ひろりん あしゆ 中1

 親子、と言う関係はほかの人間関係とは別枠にある。学校の友達や恋人は、当事者たちの自由な選択によって成立していて、一時的なものが多い。ふと結
ばれ、ふと消えてゆく、というのもありなのだ。しかし親子は生まれた瞬間にその関係が決まっていて、「えらぶ」ことができない。そのうえ人間と言う動 物は養育期間が長いのでその関係は絶対なのだ。しかし、最近「親子」問題が増えてきている。例えば、「どうやって子供を育てたらいいのでしょう。」だ 。なぜ「親子」関係が問題化しているのか。それは、変化する社会の中で親とこの経験がまったく異質化してしまった、ということにある。昔、「伝統社会 」だったころは親と子は同じ経験を共有してきた。親は自分の教わってきたことを子に教え、また子はその孫に教えていく。ただ自分が育てられたのと同じ ように育てればよかったのだ。しかし現代社会での様子はだいぶ変わり、オムツの当て方などひと昔前とはすっかり変わってしまった。そこから親子の間に 落差が生じてくる。  

 たしかになあ、と思った。最近はほにゅうびん派の人が多いし、時代は進歩した。しかし、社会が進歩して親子に落差が生まれた、というのはただの言い
訳だと思う。社会が進歩するのはあたりまえだ。だったらそれを乗り越える対策をかんがえたらいいのではないだろうか。また、親とその親がいっしょにな って育て方を考えたり、完全に変わったと言うわけではないのだから親の時代の方法を伝授すればいいと思う。私も遠い先の話なので言える立場ではないが 、時代のせいにするのは無責任だと思う。  

 しかし、そう思ってもしょうがないような場面がたまにあった。お店の通路にベビーカーを置いて自分は買い物に夢中になっている迷惑を考えない親。子
供にバリバリ流行服を着せている親。中学生の目から見ても、その子の将来が不安だ。こういうときにはやっぱり「時代は変わったんだなあ」、と思ってし まう。(あんたいくつだ?)  

 しかし、時代は変わったと言っても「親子」の関係はいつまでも変わらない。時代に合わせた育て方をしながらも、ずっと伝わってきた家事の仕方や料理
の仕方など自分の教わってきたことをちゃんと伝えればいいのだ。時代が進んで変わらないものはないが、親子の関係は人類が滅びない限りずっと変わらな いのだ。                                                    
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