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生活の中の“ワンパターン”と人生 アジサイ の広場
横浜太郎 あわか 高1

 ワンパターンの番組やマンガなどは、驚くほど多い。有名なところでは、「暴れん坊将軍」、「大岡越前」、「水戸黄門」、「アンパンマン」、「ドラえ
もん」、「ゴルゴ13」などだろうか。よく見ていると分かる気がするが、ほとんどのテレビ番組、マンガなどは、バターンこそ違うが、大抵ワンパターンで あることが多い。それが具体化されているか、いないかの違いはあるが。そう考えると、よく「水戸黄門はワンパターンでつまんねー」などと言われるが、 それは筋違いではないだろうか。  

 例えば、“恋愛もの”。この手の番組は、だいたい「運命的な出会い→苦難→ハッピーエンド」と、こういう図式で進められることが多いように思う。男
はつらいよシリーズは、「寅さん突然の帰宅→騒動→寅さんが家を出て行く」の繰り返しの気がするし、ランボーシリーズにいたっては、ほとんど始めから 終わりまで銃を乱射しまくって、ハイ終わりというパターンだ。唯一あっと驚くような展開があるのは、一部のサスペンスものと一部のSFものくらいだろう か。それでも、2作以上出ると、前作と同じようなパターンであることが多い。  

 本文中で著者は、「アンパンマン」について、「…相手に何が不足で〜インプットしてしまいそうだ」という風に書いている。確かに、相手に歩み寄るこ
とは大事だし、僕自身が感銘を受けた言葉「相手に変化を求めるならば、まず自分自身が変わらなければならない」の精神にも合っていると思う。しかし、 実際問題として、どんな相手に対しても歩み寄るだけでお互いの距離が縮まるというのは、あくまで理想論であると思う。もしそれが理想論でないなら、学 級崩壊や犯罪は激減していると思う。少林寺拳法開祖・宗道臣の言葉にこんなものがある。「力の伴わない正義は無力だ。愛のない力は暴力だ」。つまり、 言って分からない人には、力を用いてでも改心させる心構えが大事だということだ。  

 ワンパターンは、賛否両論あるにしろ、我々の日常から切り離せない。我々ができる大切なことの一つは、ワンパターンが良いか悪いかを話し合うなどと
いう低レベルなことではなく、いかにワンパターンと付き合っていくかというのを話し合うことではないだろうか。もちろん方法は1つではない。もう一つ は、大切な自分の人生そのものがワンパターンになってしまわないよう気をつけることである。  

 
                                                 
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