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清書:痛かったこと ウグイス の広場
美佳 いうわ 小6 私の痛かった思いでは、弁慶の泣き所を打ったときのことです。  

 弁慶の泣き所は、私も姉もよく打ちます。どこで打つかというと、階段でいつも打ちます。それも、急いでいるときに階段をかけ登っているときによく打
ちます。その痛さは、打ったことのない人たちには絶対に予想もつかないような痛さで、一瞬、時間の流れがスローになったかのように止まってしまい、ノ ックアウトという感じです。腕を打っても痛いのに、骨と皮膚しかないような弁慶の打ち所を打つと、名前のように涙がでてきそうになります。だから、「 あぁぁぁぁー・・・・・。」と、叫びそうになるくらい、痛いです。弁慶の泣き所以上痛いことはないと思うくらいです。  

 けれどもそれは、自業自得だと思います。それは、階段は、「ドタ!ドタ!ドタ!ドタ!」とかけ上がったりするためのものではないのに、「ドタ!ドタ
!ドタ!ドタ!」と、かけ上がる自分の不注意にすぎないからです。私は、今、自分の部屋が、階段の下にあるおしいれがついている部屋で、姉が階段を上 るときにはとても腹が立つことが多いです。それは、姉が、私が部屋にいるという事にもかかわらずに、階段を「ドタ!ドタ!ドタ!ドタ!」と、かけ上が るからです。だから私は、  

 「うるさい!どたどた登るな!」
 

 と、姉に向かって怒鳴りつけます。それにもかかわらず姉は、いつもいつも「ドタ!ドタ!ドタ!ドタ!」と、階段をかけ上がります。そして、
 

 「痛・・・。」
 

 と、いう声が聞こえてくることがしょっちゅうあります。そして私は、「ざまーみろ!」という気分になります。そして、姉が
 

 「痛たたたたた・・・・・。」
 

 と、叫んでいると、母が、
 

 「あんたは、いっつも美佳に注意をされてるのに、注意せーへんから・・・。」
 

 と、あきれた感じで注意して、シップをはってあげたりしています。けれども、ずっとそれを言われ続けているのに、いまだに、直せていません。 だか
ら、痛みとは、体験しながらもなおしていくものだ。                                       
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