先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
清書:障害は、才能を開花させる為の故である
アジサイ の広場
クラシック しふ 中2 障害とは、重荷ではない。素質を開花させる為の故である。素質を開花させる為の試練である。  

 
 

 うちの母は、よくこんな事を言っていた。
 

 「障害を持つ人、例えば目の見えない人、確かに一生目は使えないだろうけど、彼ら、彼女らは、目の代わりに何かすばらしいものを授けてもらっている
のですよ。目の代償として、優しい心を授かった人、優秀な頭を授かった人人の心を理解し、最大限まで他人を気遣える心を授かった人、障害をもった方々 は、常人にも劣らない才能を持っているんです。」  

 彼ら、彼女らは、他人の痛みを知ることが出来る。他人の苦しみを理解することが出来る。
 

 常人は、常に障害者を見下している。全ての人がそうではなかろうと、大半の人は、見下しているはずだ。
 

 盲目の人々は、見ることは出来ないが、感じることができるのではなかろうか?
 

 表面的にではない、全てのものの心に触れることができるのではないか?
 

 それは、私たち常人には、永遠に感じることのできないものではないだろうか?
 

 リスクは大きいが、故に与えられた贈り物は、リスクの比ではない。
 

 僕は、この通り目も見えるし、盲目の方々の気持ちもたいして分からない。 ただ・・・・・・盲目と常人、それがたいした差があるわけでもないということは
分かる。 常人は目が見える。盲目は目が見えない。・・・・・ただこれっぽっちの差・・・・・  

 この世には、スーパーマンも、ダメ人間もいないのである。 
                                   
ホームページ