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一番=努力
イチゴの広場
田鳥倉部あゆと小6


 一番になったこと
 


 この話を書きたかった理由は、一番表現できる作品なのかなぁと思ったから。だから、書いてみたかった。
 


 一年生の時、担任の先生が国語の先生だった。この時は、今と違って少しは真面目だった。「○○カード」という
 


 カードがあった。このカードは、役に立つにたつともらえるカードである。この時は真面目だったのでこのカードをもらえるようになっていた。
 


 これから数日後、やっとあの念願の、カード最高記録になった時が来た。この時感じた。
 


 「やっと来たよ努力してやったかいがあった。」
 


 今になって感じたのは、「やればできる」という力が実についたと思った。
 


 もう一つあります。しかしこれは、「一番」だけど決して良い「一番」の話ではないです。
 


 僕は、六年生という最高学年である。頭は悪い方である。だからこそ塾に通っている。それで、算数が一番悪く熱血教師に勉強を教えてもらって
いる。他の科目は何とか助かっている。この時、
 


 「もっと勉強しなきゃ。」
 


 こんな事を思いつつ毎日を過ごしている。これの何が、一番なのかと思う。しかし、ここでの一番とは、授業中なぜか静かな男子一番だったので
ある。これも、自分でも不思議に思ったことである。 要するに、「一番」自分が分からないうちになっているのも一番でもある。さらに、努力し
てもできる「一番であることが分かった」 昔は、「一番」自分の考えでは、リーダーみたいな存在だった。わけで自分も慣れるのを夢見ていた時
も合った。この時は未熟者だった。昔と今の差は大きいなぁ
 


 今回のことわざ 腐っても鯛・・・値打ちがあるものは、どんなに腐っても値打ちが低いものより値打ちがある。だから、一番は、考えてみると
値打ちが高いと考えて良いと思う。 人間にとって「一番」とは、自分を価の上に立って、思い出ともでき努力やいろんな事をして、つかめるもの
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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