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清書:家畜化した人間の先は?
イチゴの広場
ひろりんあしゆ中1


 人間はここ最近、自らを飼育し、家畜化している。家畜化、というのは社会の常識に縛られて暮らすことである。野蛮人なら「おなかがすいたか
らなんか食べよう」「眠くなったからもう寝よう」だが、家畜化している人間、文明人なら「8時になったからごはんを食べよう」「9時になった
から寝よう」と社会の規則に縛られている。食べ物についてもそうで、動物が生きるにはまず食べ物を食べることから始まり、自力で獲物を取って
やっと食べられた。しかし今では食物を供給され、おまけに生活空間の場まで与えられている。人間は社会のシステムに参加することによって、社
会的に食物を供給されている、ともいえる。
 


 二十年間も訴えつづけたところで悪いが、私はそうは思わない。社会のシステムに守られて生きている、というのはあたっているが、「今日から
獲物を取って食え!!」というわけにもいかないし、今の時代がそうなんだから仕方がないと思う。原始時代なら確かにルールに縛られずに自由だ
が、それは原始時代の話だ。そりゃあ社会のシステムに守られて生きる、というのはあまりいい気持ちにはなれないが、ではどうすればいいのか。
逆にこの著者は社会のシステムに縛られずに、食べたいとき食べて寝たいとき寝る、という生活をしているのか聞きたい。そういうことを言うんだ
ったら解決策を言うべきだ、と思う。
 


 しかし著者の言うことにも一理ある。いきなり空からなんとかの大魔王が降ってきて地球が滅亡するとしたら(あのいつぞやの・・・)コンビニ
弁当とカップラーメンで生活していた人、つまり家畜化を通り越して「ペット化」した人は生き残っても何日かで死んでしまうだろう。食べ物も生
活空間の場もなくなってしまうわけだ。完全に社会に甘えていると、そういうことがおきたらとんでもないことになるよ・・・ということだ。
 


 すでに家畜化してしまっている私たちは今この状態をどうすることもできないが、完全に家畜化せずに、昔のように自立した面ももち、生活すれ
ばいいと思う。完全に自由気ままに、というわけにはいかないが、そういう心も忘れずに・・・ということだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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