高齢化社会を生きる! |
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横浜太郎 | / | あわか | 高1 |
高齢化社会の問題は、現在では深刻な問題で、確かに「何とかなるだろう」という楽観的見解もあるようだが、実際にはそう簡単に事が運んでい |
ないのが現状らしい。特に若年層にとってこの問題は深刻で、我々が労働者として働くころには、確かおよそ2人で1人のお年寄りを支えるという |
。またお年寄りにとってもこの状況は芳しくなく、医療費の値上げや年金を減らされるなど、悲惨な状況になってきているようだ。この状況を打破 |
するためにはどうしたらよいのだろうか。 |
「姥捨て山」という昔話がある。そこの地方では、お年寄りを役立たずとして山にすてているというのだ。始めこの話を知ったとき、「なんとひ |
どいことをしていたのだ」と怒りをおぼえた。しかしよく考えてみると、現在は本当に“姥捨て”をしていないのだろうか。例えば老人ホームなど |
である。もちろん数度しか行っていないので実情はどうかわからないが、「かわいそうだな」と思うのが正直なところであった。もちろん全ての人 |
が、というわけではない。しかし、「生きている」のではなく「(なんとなく:あるいは無理やり)生かされている」といった感じがないわけでも |
あと、医療についても同様のことが言える。医学の飛躍的な進歩によって、我々が“健康”と長寿を手に入れることができるようになったことは |
事実である。しかし病院に行くたびに思うのが、「果たして、あのようにチューブと医療的数値だらけの人生を送ることが幸せなのだろうか」とい |
うことである。長生きをしたくない、などといえば嘘になる。できれば長生きしたいし、死にたくもない。もし死ぬのであっても少しでも楽に死に |
たい、と思うのが人情であると思う。しかし、回復の見込みもなく、日夜自分の体にチューブが入っていて、身動きを取れない状況で生きている、 |
あるいは生かされているとしたら。自分は嫌だ。それは生きているという状態ではないと思う。生きているというのは、肉体とともに心が生きてい |
る状態でなければなければならない。心身一如である。その人の毎日の目標、生きがいもなく生かして自慢している病院や医者、社会は、ある意味 |
自分は法律的なことなどはよく分からないので、「社会保険制度が…」などということは語れない。しかしいえることは、全ての人が生きがいを |
持って日々を生きていくなら、その社会は必ずよくなるということだ。ロシアのマクシム・ゴーリキーが「仕事が楽しみなら、人生は極楽だ。仕事 |
が義務なら人生は地獄だ」という言葉を残しているが、不精ながら自分流にアレンジして「生きることが楽しみなら、人生は極楽だ。生きることが |
義務なら人生は地獄だ」としてみた。我々がこれから高齢化社会を生きていく上で、大切なことの一つとして、『生きることに意味を見出す』とい |